若い人たちのたのもしい意見、イタリーの判断

朝比叡山坂本をでて午後から恩納で勤務しています。6時間の通勤時間ですが、それなりの仕事ははかどりますから、こんな風にやっていくのかな、と思っています。
3月11日以来3ヶ月ということでいろいろな報道がありますが、全体的にこの3ヶ月で相当な国民教育は進行したな、と実感しています。
幼児をもつ母たちの発言がとくに耳にはいりました。
原発のこと、放射能のことはこれから何十年も考えていかねばならないということがよく分かりました。
放射能の危険性は、自分の頭で考えねばならない。
わたくしにはこれら二つの意見を聞けば安心です。
放射能にはこれ以上は絶対に危険というレベルははっきり分かっているが、これ以下で安全というレベルはない、ということを過激な意見でなく、ごく常識的な知識として身につけていただければ、もういうことはありません。放射能の恐怖はわれわれの肉体とDNA機能への破壊的変化に対する恐怖ともいえるでしょうか。

イタリーでは原発についての国民投票があったとのことです。明日には開票結果がわかるとのことです。
ベルルスコーニ首相は、まだ開票結果が分かる前からイタリーは原発にさよならをいうことになるだろうと言ったそうです。
一時の衝動の決断でなく、流れははっきりしてきました。福島の事故は、50年に一度、100年に一度、もしくは千年に一度に相当するものだったかのかもしれません。でもそれが日本で起きてしまったのです。起きたのをみれば、たとえ千年に一度の事故だったとしても、いさぎよく原発をやめよう、というのがイタリーの選択になるのだろうと思います。
日本は、二度の原爆と一度の原発の悲劇にあっても、まだまだ原子力の平和利用ということばで核の恐怖から顔をそむけてしまうのでしょうか。

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