今回の会議はわたくしが長年働いてきた分裂酵母の国際会議で2年か3年おきなのですが、ことしで6回目となりました。ボストンにあるマサチューセッツ大学医学部のニック・リンドさんがオーガナイザーをしました。ハーバード大医学キャンパス内で行われます。みんなある意味同業者なので話も通じやすく、そのせいもあり過密スケジュールで行われます。年寄りはつきあうのをほどほどにしないと二日目か三日目でつぶれます。夜のセッションも10時まであるので、そのあとのビールセッションなどさらにつきあうことは極力しません。
土曜の夜からつまり今日の夜から始めて、木曜の昼まで、それで家路にもどれば多くの人は金曜にラボに戻って遅れた大学や研究室の仕事をキャッチアップして、それから家族との週末を迎える。こんなところが平均的な若い参加者の、特に忙しい人たちのスケジュールでしょう。この機会に米国を旅行して知己や共同研究者と会う人ももちろんたくさんいるでしょう。わたくしの場合は、金曜にはMITによって、土曜に帰国にして日曜の夕方に名古屋空港に着く、こういう予定です。きょうから来週の土曜まで学問漬けの生活を送るわけです。
昨夜は、元ラボメンバーのK君に会ってつきあってもらいました。
元気なようでなによりです。研究もうまくいっているとのこと。金曜日に彼のラボを訪問しますからその時に聞きます。
外にでるとびっくりするほど寒い。沖縄とは15度どころか20度くらい低いのではないか。それくらいに感じました。部屋も暖房しました。防寒の服というのは盲点でちょっと不意を突かれた感じ。でもまあ年の功で必要なものはスーツケースを見たらありました。
追記
朝ごはんをたべようとホテルに隣接する食堂というか食堂街というのかにいったら、AさんとHさんとばったりあって雑談しました。結構メタボリックな話で盛り上がりました。
なるほどみんなこのへんで修業しているのでした。わたくしも何を隠そう1970年のいつの頃かわすれましたが、DLDCさんの家で論文書きを試みました。とうじはSydnery-Farber Children’s research hospitalとかいったはずでした。いまはDana-Farberという大きなビルですが。でも通り名は変わらずおなじでBinnery streetといってました。わたくしも、短期間ですが、40年前にこのあたりウロウロしていたのです。大きなコンクリートの変哲もない建物で、いまのわたくしにはぜんぜん魅力を感じませんが。でもそこに昔自分がいたことがある、と言う点でノスタルジックになるのですね。