ベートーベンの居たことのある洋館ホテル滞在、オーストリアの人たち、日本を考える

早いものでもう5泊しました。今晩泊まって明日帰国です。
この間、ベートーベンが第9を完成するために2年間も滞在したというビラに滞在しました。会場から徒歩5,6分です。
豪壮とかいうのではまったくなく、簡素なしかし非常に上品な中くらいの大きさの、いわゆる洋館です。4階建ての最上階の部屋にいます。冷蔵庫もエアコンもありません。しかし時期もいいのでなんの問題もありません。おりおりに窓をあけています。
ただポットがない。それで困って、電気屋を探して、18ユーロのポットを買ってきてお湯を沸かしています。
それでいまZのコーヒーを飲んでいます。朝4時ですからホテルサービスもありません。
しかしよく寝られます。静かです。
しかし従業員はとても感じが良く、控えめにしてかつフレンドリーでして、ホテルレセプションはわたくしにはこうあるべきという見本のように思います。ただこの距離感が日本の旅行者にはすこし遠いと感じられるかもしれません。
オーストリアのひとびとは打てば響くような人たちでなく、すこし時間をおいてまあ一拍子をおいての対応が多いので、わたくしにはゆっくり出来るのでいいのですが、同じような言葉をしゃべるドイツ人にはまだるっこしく感じるかもしれません。
人間関係、万事目が物をいうのですが、ちゃんと相手の目を見ていってくれますから、こちらが友好的なら相手もそうなるという、あたりまえのことが通用すると言う場所は世界ではだんだん減ってきているというのがわたくしの実感です。ここオーストリアの小都市ではまだちゃんとその友好さがあるということです。

この間の日本のニュースになあまり気になるものはありませんでした。
日本社会はなにごとも遅滞しているな、という印象です。
前に進む原動力の若者はそれほど期待できるのか、早々と隠居した団塊世代はこれから死ぬまで国家による福祉の享受者としていきていこうとするのか、どちらにももうしわけないけれども否定的な気持ちしか持てません。
日本語をしゃべってお辞儀をくりかえしている1.3億人の孤独民族は、どうやってこれからの英語主体のグローバル化した世界を生き抜いていこうとするのか。これにも否定的な感じしか持てません。
オーストリアはかつて世紀末の思想が発展したこともあるのですが、それでも大戦をくぐり抜けて、平和かつ静かな市民がいるのですから、日本もそういう否定的な面にもかかわらず、文明的、文化的にはこれからあんがいすごい時代がやってくるのではないか、そう思います。三度の食事ができて着るものがあって、熟睡できるねぐらがあっての話です。
いまの日本はそれが危なくなりました。震災以来日本人の心の安定感は無くなりました。
しかし、日本が他の諸国に較べて圧倒的に有利なのは、この豊かで素晴らしい自然の山河を持っていることだとおもいます。日本人民が地球上から消えても、この日本の自然に憧れる人々は世界中にいくらでもいますから、あっというまに諸国の人々がやって来てすむでしょう。もちろん原発の放射能を考慮に入れなければです。
日本人がいちばん反省すべき点は政治には関心があっても自分が参加しないでここまで来てしまったということです。政治家を馬鹿にしているうちに日本という国家はこんなになってしまったということです。
日本のベストの人々が政治を目指せるような社会でないといけないと思います。日本国民を誤った道に連れて行かないことを最低限の条件に、望むらくはわれわれが誇りにできる政治家がいて欲しい、こう強くおもいます。
なでしこのサッカー女子選手がわたくしたちに教えてくれたことは非常に大きい。彼女等の発祥の過去からこれまでの歴史を国の羅針盤にして欲しい、と思うのです。

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