伊良部氏が米国に住んでいるというのは知りませんでしたし、自殺したのは大変な驚きでした。どういう原因があったのか。神経がたいへん細やかだったと。毎日新聞に興味深いイチロー選手の述懐が出ていました。
伊良部氏は、イチローにとって大リーグの投手を推し量る基準となっている。「こちらで球の速い投手はたくさんいますけど、比較する時に必ず頭に浮かぶのが伊良部さんの真っすぐ。伊良部さんの一番速い球というのが、大リーグで10年以上やっても物差しになる。それはずっと変わっていない」と明かした。イチローの頭から決して離れない伊良部氏の言葉がある。「(日本の)球宴で話した時に“バッターを殺したいくらい憎い”と。“頭に当てようが何しようが俺は抑えたい”と聞いた時に、ちょっと恐ろしい人だなと思いました」。野球にかけるこれほどの思いを聞いたことはなかった。「あの言葉は一生忘れない。命を懸けるのは打者側の俺たちだと思った」。プロとしての執念を叩き込まれた。
なかなかすごい言葉で、これをリアルに感じた選手はいるでしょう。それと同時に野球にかける命がけの凄さをも感じるでしょう。わたくしも感じます。
研究者の世界で敵意とか憎さみたいなものが研究能力の上昇にやくだつこともありうることですが、でもこの言葉にちかいものを聞いたことはありません。
なるほど投手と打者は平等のようだけど実は違うんだな、ということが分かりました。打者が投手にバッターを投げつけても距離が遠い。でも投手は例のビーンボールで頭を狙って投げても手が滑ったとか言い訳ができるかもしれません。
どうしてもなんとしても勝ちたければ、やってしまうぞ、俺は。とか伊良部選手なら言えたのだな。150キロを越える剛球投手だからこそ言えたセリフかもしれないな。こう思いました。
こういう命がけのセリフ、わたくしは好きです。
わたくしもそういうセリフおもいつきますが、でもいえません。リアルに感じることができないのです。
イチロー選手は、伊良部選手への深い思いから、かれの死後、死者への鎮魂のための言葉なのでしょう。伊良部が一生自分の能力にもだえ続けた選手だったことを知っているからでしょう。イチロー選手も案外そうなのかもしれません。