まずしさの美学3

きょうの一番大きなニュースはリビア情勢で、カダフィ大佐は姿を現しません。首都では最後の段階の激戦がおきているようです。欧州がここまで(大佐邸宅を爆撃)やってしまって大丈夫なのだろうか、今の正義は10年後もそうなのだろうか、という疑問は残ります。
あと前原氏はやはり総裁選立候補、この過程も氏の言葉は踊ってますが(日本のために、政治生命をたとえ完全に失っても、等等)、ご自身の政治とカネの問題はたなあげしているようです。ウンザリのことがまたまた始まるような気がします。

きのうからのつづきですが、わたくしがいいたいのはふたつあって、ひとつはそもそも日本はかつてそんなに豊かな時代があったのだろうか、実感がないのです。なんかずっと貧しい時代が続き、貧しい人が沢山いる点では変わらない、と思いたいのですが、しかし統計はしっかりと、かつての(豊かだった)時代に比べるといまは格段に日本は貧しくなっているのだそうです。ですから、実感と統計の差をなんとかしないといけません。
もう一つは未来予測です。日本はますます貧しくなのかどうか、どこまでいったらそれが止まるのか、そういう疑問です。もっと根本的疑問は食べるものが食べれない飢えとか、病気になっても医療にいけないとかがないかぎり、貧しさはそれほどの大問題なのか、ということです。
先の方の疑問ですが、いまの日本は、海外からの訪問者は大都市に来ても貧しさを感じることはできないでしょう。でも一部の地方にでると、驚くほど疲弊した廃墟のような村や町を見ることはあるはずです。北海道ではみかけます。ゴーストタウン化した地方の町々や村々をもっともっと見ないといけないのかもしれません。日本の貧しさを実感し理解するためには、たぶんそのようなものでしか分からないのかもしれません。
大都市は仮面をかぶっています。貧困層でもおかしくない若い男女は親と同居したり、親の援助できれいな服を来ているのかもしれません。二年前中国の大都市でマニキュアしたり髪の毛をきれいにしている若い女性はほとんどみられませんでした。どっちが普通か分かりませんが、いまの日本の大都市での若い人たちに一見した余裕はうわべだかのもので、親が居なくなって、収入が途絶えたら、かなり厳しいものなのかもしれません。いまの社会基調が続くと、きたるべき貧困、一部の地方ではもう始まっている貧困が顕著になるのは、だいたい10年と思っています。でもそれでも今の中国くらいかそれよりはまだ平均すればかなり豊かかもしれません。
未来予測的には、いまから25年で社会基調は行き着くところへ行き着くとおもいます。
団塊の世代の過半数がこの世を大量に去る時期です。驚くことにそれほど長く生きているのです。
かれらがかなりの遺産を残せるのなら、まだ社会は余裕が有るかもしれません。社会変動でスッカラカンになってしまうと、団塊ジュニアの多くは経済的に苦しくなるのだと思います。
でも行き着くところには行き着くのでしょう。
わたくしの持つイメージは、海外に移転する工場と同じで、頑張る日本人は海外に行かざるをえないでしょう。多くの国では、人口の10%場合によって30%が海外で働いているのです。祖国に送金している人も多い。このあいだ行ったアルメニアはフランスのパリ郊外だけでも数十万とか。全部で300万人もいない総人口でです。
日本人もいやがおうもなく海外シフトになり、かれらにとって日本は本国となり、帰国しなくても送金をせねばならないような国になるのではないでしょうか、それがいつ来るのか、常識的には25年後とおもいます。
その頃には、貧しさはだれもイヤなものととはおもわず、慣れて、生活の当然の一部になるのでしょうか。その時代、わたくしはとっくに消えていますが、真のまずしさの美学が現れてくるかもしれません。
日本はある意味でいまが一番豊かそうに見える国になりました。ところがものすごい借金を国家がしながらです。国家の借金の破綻前の豊かさを楽しんではいけないのでしょうが、もうすぐやってくる本格的な貧しさの前にいまのうちに色々準備をしておきたいものです。急激にショック的にやってくる貧困は非常につらいでしょうが、徐々にくるのであれば、さほど感じないでしょう。
色んなあたらしい文化が勃興し復興するでしょう。
将棋とか碁とか一円もお金はいらないで一日中楽しめます。
おしゃべりも、それ自体お金はいっさいかからずに楽しめます。
日本で始まった芸術の多くもお金は驚くほどかかりません。

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