縁故主義の果てに

最近、縁故主義のことを考える機会がありました。
縁のあるひとを有利にあつかう、情実で雇用するとか、英語ではネポティズムというようです。甥っ子を情実で採用し引き立てるようなことが典型例なので、そういうらしいです。
民間というか私的な会社では小さいものであれば、常に起こることです。
大きい会社では原則ないことになっているとかいっても実際には創業者とか大株主とか重要取引相手の家族とか、しばしばあることです。
上手にやれば縁故主義は民間会社経営にとってはなくてはならない武器なのでしょう。
しかし大学の入学試験で縁故主義で採点を甘くするとか、追加するとかすればそれはけしからんという人が必ず出るでしょうし、いまは私立大学でも国のお金つまり税金が入ってますから、縁故主義はやれば相当危険な結果があります。
国の税金で運営されているところでの縁故主義はどのあたりから、不当を越えて、犯罪になるのか、このあたりがけっこうグレーな感じがします。
天下りなんかもある意味、縁故主義のバリエーションでしょう。けしからんというのはあっても、犯罪行為になるのではないかという発想がほとんどないのが不思議です。
公務員が仕事で知ったことを、知り合いの報道関係者に内密に流して、報道させて反対者や対立者を窮地に陥らせるのもある意味、縁故的な行為で、わたくしには犯罪だとおもうのですが、しかもかなりひどく横行しているように思うのですが、とがめ立てられません。
わたくしが考えた、最近しった縁故主義は、客観的な立場にある人たちがそれをみとめている以上、縁故主義のはずがないのですが、でもそれをみると縁故主義以外のなにものでもない、そういうケースです。
つまり王様の耳はロバの耳、のたぐいか。白昼堂々裸で歩いていても、だれも知らぬふりをしているケースでした。

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