首相の国連での演説、諸国への人々への、原発事故の謝罪はまったくなかったようです。どうしてなのでしょうか。えらく高飛車の態度の演説で、ひと言で不快です。これからどんどん原発を諸外国に売るのだそうです。ひどい話です。これじゃ報道にはないようですが、聴衆が非常に少ないのは当たり前です。この首相の頭の中のゼンマイがヘンな風にまいているのでしょう。外相もそうですからしかたないのでしょうか。
タブーを話題にしていましたが、刺青というのは。これもタブーの一つでしょうか。刺青もどきというのか、おしゃれの一つとしてシールみたいなもので腕とか肩とか足首あたりに絵柄をつけている若い男女をおりおりに見かけますが、わたくしにはかなり抵抗があります。ホントのいれずみかそうでないか区別も付かないのです。ホンモノだとしたら(ホントでなくとも)、なんと愚かな(わたくしの偏見ですが)人なのだろうとおもいます。
以上が枕ですが、いまの日本は戦前にどんどん似ています。その最たるものが、報道管制というか報道自粛なのでしょうか。
報道自粛の最たるものが、大マスコミはとうとう津波で亡くなった人たちの死体や埋葬を大衆に見せませんでした。わたくしも大衆のひとりなので一度も見ていません。このこと一度は話題にしたかったのですが、わたくしも管制して、とうとう今となってしまいました。
2万人近くの人たちが亡くなったのです。それがその人々の死の現場が報道されなかったことは、戦争下での玉砕した兵士の死体を見せないと同じような効果を今後長期にわたってもたらさないでしょうか。
もちろん個人特定が容易な死の像を見せるべきではない、という意見を考慮します。しかし、千年に一度とまで言われるこの大津波のいちばんの情報は[死の現場]、ひとりひとりその瞬間のまえはみな平和な生活を送っていた人々の死の現場なのです。これがニュース価値の最高のものであるに違いありません。それをあえて報道しなかった、ニッポン大マスコミ(実は小マスコミも同様のようですが)はどのような罪(あえて過激な表現を使いますが)を犯したのでしょうか。もちろん真実を伝えなかった罪です。
わたくしは、本当にひどい罪、マスコミとして痛恨の罪を犯したと思っています。なぜそのような[自粛]が行われたのか、誰が言いだして、それに反抗する動きがまったくなかったこと、このような日本マスコミの軟弱な態度はわたくしから見たら報道機関の自殺行為と思っています。
ここら辺で辞めておきますが、もう一つの報道自粛は、やたらに日本は立派なのだ、みんなが頑張っているのだ、批判は辞めておこう、こういうよく分からない、[批判自粛]です。いっぽうで、テレビなどをみていると、すごい批判をやりまくっているキャスターもいるので、一方では[野放し批判]も横行しているようです。批判自粛と野放し批判は問題の裏腹で、いっせいに事が起きる点でよく似ています。たぶん[付和雷同]なんでしょうね。根本のところでの共通点は。付和雷同の日本の一番の怖さは誰か独裁者いいだしたことをオウム返しに従うのでなく、だれだかわからない[空気]みたいなものが支配的にはたらくのですね。わたくしのように、一生[空気]を乱す役割しかしてこなかった人間には今の日本たいへん住みにくいというか、関わりを持ちたくない日本社会の部分がひどく増えています。