文化勲章とは、分子遺伝学、分子生理学、自分の学問の系譜

驚きました。
文化勲章とは。
事前に聞いてはいましたが、驚きに喜びが混ざるのにはだいぶ時間がかかりました。
身が堅くなるような感じです。
でも、この驚きを、これから生きるうえでの勇気に変えたいな、という考えが生まれてきて、それで落ち着きました。
昨日はですからほぼ平常に過ごせました。
ちょうど国際会議でもあり、沢山のひとたちから直接お祝いの言葉を頂きました。ありがたいことです。
メールも沢山いただきました。
わたくしは自分が学問上の少数派であることをまったくこわがったことはありませんでした。
意気込むうえでの条件にするくらいでした。
でも、さすがに70才にもなってまだ現場でやっているという少数派に属することについてはときたまつらい感じをもつことがあります。でも、こうやって評価して頂けるのなら、まだまだ頑張りたい、こういう気持ちです。というか、ますます頑張ろう、とはいえ年寄りですから、ほどのほどの自制は常に働きますが、いつまでできるか試し試しこれからも生きていこうと思っています。

沖縄大学院、いよいよ開学です。たいへんめでたいことです。
これまでは自制していましたが、自分の意見の発言もはっきりしていこうと思い定めています。首脳陣についての問題は大きくてしかも山積しているように見えます。大丈夫なのか、という感が先に立ちます。

このわたくしが選ばれた分野は、分子遺伝学、分子生理学ということでした。そのことの意義は実は昨日まで自分でもよく分かってないのでした。この分野での初の受勲ということを新聞でみて、初のという枕でなんか分かりました。わたくしには、この分野では分子遺伝学の富澤純一先生、分子生理学の江橋節郎先生がすぐに頭に浮かびます。わが国における創始者と言えるかもしえません。もしかしたら、木村資生先生もややずれるかもしれませんが、分子遺伝学の開祖のおひとりになるのかもしれません。でもこのような方々は開始者でもあったので、この分野での受章者ではなかったのかもしれない、と思ったのです。ですから、わたくしはこのような先生方の子供というか学問上の嫡子なのかもしれません。そうだとしたら、大変嬉しいです。日本には明治以来の西洋型学問の系譜があるのですが、分子遺伝学や分子生理学は新しい学問、わたくしが研究者になった時にはまだ名前として存在してませんでした。これらの先生方が苦心してあげた大きな成果にもとづいて生まれてきた言葉です。そういう風に考えると、ありがたいことです。嬉しく思えます。自分の学問の系譜を、教えてもらった感があります。

学問には国籍がありませんが、学者研究者はそれぞれの民族のidentityを持って生き続けるのですから、日本には日本の学問がある、その深さと広がりが増すように、また外からもそれがみえるように微力ですがまだ頑張りたいです。

タイトルとURLをコピーしました