沖縄大学院のあるべき鉄則 米国臭の排除

世界の中の国民の中で、米国人がもっとも国民的体臭がきついかもしれません。
実際に匂いがするというわけではありません。もちろんたとえです。
カナダ人の生涯の目標は米国人と間違えられないようにすることなのだ、とカナダ人から聞いたのは一度や二度ではありません。
しかし米国人からおなじセリフを聞いたことはありませんので、米国人はみずから米国人とみられることに誇りこそすれ恥じることはないでしょう。当然のことです。
沖縄の地に米軍の基地はいくつあるのでしょう。無数というほどではありませんが、非常に沢山あるという印象があります。沖縄の人はもちろん全部ではありませんが、基地以外のところで米国が強く表にでるのを歓迎するということはないと思います。
そういう意味で、沖縄大学院の前身の独法の理事長にブレンナー博士をおいたのは成功だったと思います。博士には米国臭は皆無です。博士は米国はもちろん嫌いでないでしょうが、でも米国的なものからはほど遠いです。諧謔、皮肉、ウイット、知性どれをとっても座談レベルで世界超一流の面白さです。米国的な要素が皆無でした。
博士のこのよさがあまり日本社会に伝わらなかったのは残念でした。やはり言葉の壁は大きかったのではないでしょうか。博士はかつてたいへん親日的でしたがいまはどうでしょう。

それでこの独法から新大学院への移行、ですがキャンパスは日増しに米国臭がきつく感じるのはわたくしだけでしょうか。
わたくしは、大学院大学はこの点でもトップの人選に失敗したとみています。
米国臭のまったく感じられないトップをすえるべきだった。
それがこの大学院の鉄則であるべきだったのではないでしょうか。

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