日本の国土に建つ外国人縁故大学院大学 その創立記念の日

昨日のわたくしの述懐にはすこし解説がひつようでしょう。
わたくしはこの大学のわたくしの目から見た不正行為がまかりとおる状況を憂えて、もちろん最初は日本人職員にアプローチを試みていましたが、そのトップがみかけ追い出される状況となり、しかたなく、外部設立委員のトップに(つまり現在の理事会議長)にその状況を伝えました。
全部で10回近く往復の連絡がありました。わたくしと、彼と、彼の信頼するメンバー二人だけが読めるようにした連絡でした。絶対内緒にしなさい。なぜなら、大学創立まではわれわれには力がない。
しかしひとたび大学が創立すれば、自分たちが最強の立場になるので、その日がくるまでは用心してください。
かれは紳士的にわたくしの訴えを聞いてくれたと思っていましたが、しかし、わたくしの訴えがかれのむかしからの縁故者であるプロボーストと副学長のこととなると、まったく異なるというのはわたくしも気がついていました。
わたくしがアピールを学長止まりにしていたらば、今回も展開は違っていたかもしれません。それはわたくしも気がついていました。
しかしそれをやったら、わたくしも縁故ネットワークの一人になってしまうでしょう。
わたくしは、国内外で営々と半世紀ちかく研究をし続けて来ました。わたくしが正直であり、それをもとに学問的信用をかち得てきたことは疑いありません。
このノーベル賞受賞者は現場の研究者のアピールを一顧だにせず創立の日の晩餐会でえんえんこのプロボーストと副学長を賞賛しまっくっていたというではないですか。
もっとも初期から、わたくしや銅谷さんや研究室のメンバーが、これまで8年間、この大学院大学設立のために沖縄のうるま市のようなところでもちゃんと学問ができるということを実証した人々が、自分で言うのも変ですが、最大の貢献者じゃないか。
今回の文化勲章受章の理由書にもわたくしの沖縄での研究を大きく評価してくれているのは本当にうれしかった。
こういう縁故でこりかたまった連中がノーベル賞の受賞お偉いさんなら、もう日本はいい加減目をさますべきです。自分のそういう名誉を武器にして外国までいってみずからのかつての名声に泥を塗る、もっとも情けない人物と思います。
このブログを読むスエーデン大使館のひとがいるとも思えませんが、こういう出来事はスエーデンという国に泥も塗っています。

この日本の国土にたつ大学院大学が大学内部の研究者の声にまったく声をかさない、わたくしは弱い人間なので、これ以上のことはできません。
なんとか誰かがこの組織をなんとかして欲しい。そうでないと、もう大学といえるような環境には決してなれない、と感じるのです。
最初の頃、まさにinitial researchの頃、ノーベル賞受賞者が影も形もいなかった頃、本当に研究がしやすかった。あのときに今ある研究成果の萌芽がすべてあった。
そしてとうとう創立の日、わたくしの心は限りなくむなしいです。

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