百万遍のオフィスで昨日と今日と。周辺はどこも紅葉をもとめる観光客がいっぱい。
Aさんの論文はわたくしのレベルでは片付いたので、これまで割けなかったエネルギーを別の方向にむけます。書かなければならない、論文がすぐおもいつくだけでも片手以上にあるので、どれから始めるべきか。
立ち枯れのものは無いのですが、でもやった本人がいなくなった場合、不満なデータをどうするか、ほんと頭を悩ます問題です。90%はやっているのに。これが研究室経営者の最大の頭痛の種。教授みずからがデータ捏造に向かったケースなどは、やりっ放しでいなくなった連中の後始末から起きたケースもあるのです。立つ鳥後を濁すような研究者は日本は多いのかもしれません。契約社会ではありませんから。
昼過ぎから、新幹線で東京へ。お祝いの会ということで、夜に親しかった高校同級生の仲間と夫人同伴で、会食をします。
楽しみです。わたくしが出た高校は都立ですがいまはどんな校風なのか。女子学習院の通学路を上からのぞけたものでした。あえば懐かしいむかしのがきというのか少年の心にすぐ戻れます。仲間のひとり田中洋一が死んでしまっていません。生きていて欲しかった。同級の江崎格夫妻には結婚式の媒酌を頼んだものでした。もう40年近く前のことです。
そして、あしたは、義父の13回忌が護国寺であります。あり得ないと思っても、こんどの勲章のことをしれば実の父である久と義父繁のふたりがまちがいなく無条件でいちばん喜んでくれただろう、とついついおもってしまいます。どういうセリフがでるのか聞きたかったものです。
わたくしは正直じぶんではどうでもいいのですが、周囲の人たちの喜びをみると自分も嬉しくなる、そういうことです。
とくに、わたくしを若い頃から見ていたふたりの父親には、これがわたくしの長年やって努力を傾けて来たことへの、平成天皇が象徴している日本社会からのご褒美ということで、勲章と勲記を見せてあげたかった。