博士号をえるための苦労の程度

博士の学位をとるのにあまり苦労するのは一般論としてあまりいいことではありません。
でもあっくまで一般論です。
いつの間にやらとれたというほど簡単で無くとも、ひどく苦労しないでもなんとか必要な条件をみたすた、つまり学位論文ができて、学位がとれた。そんな感じの人達が多いでしょう。
でもなかには思いの他の苦労をしてしまった、苦労もガッカリするばかりでなんか学問の意欲が失せるくらいの苦労でした、とか指導教授とどんどんうまくいかなくなって、ラボにいられなくなり別のラボにいったりで普通より三年も四年も長くかかったとか。いろいろです。なかにはさらに苦労して、学位には重すぎるテーマでいつまでたってもまとまらず、焦りと困惑、それに怒りともうなにがなんだか分からなくなった日々でしたとか、色々あるものです。
わたくしこのあいだ理研にいるK君が勘定してくれて65人くらいの博士の輩出者がいるのがわかりました。楽々からとんでもない苦労まで、いろいろのケースは知っています。65人は学位がとれたケースでとれなかった人達もすこしながらいます。
でも学位の仕事がノーベル賞受賞の仕事だったというような人物はまだいないような気がします。
マックスペルツ博士の自伝を読むと、かれがみずからに課した博士論文の研究課題がヘモグロビンの結晶解析による三次元構造の決定だったそうです。たしかに、これに答えを得るのには長い時間もかかったし、当時なら解ければノーベル賞級の仕事だったことはたしかです。
そんなテーマをひっさげてやってくる院生がいまわたくしの前に現れたら、わたくしはなんて言うでしょう。
君すごいね、というかそれともちょっと時間がかかるんじゃない、きみ大丈夫というか、博士とってからそれから始めてもいいんじゃない、というかちょっと想像できません。
でも、あんまり苦労しすぎるのもいけないけれど、平均よりも苦労するくらいの方が結局はいいんではないかと思います。
そんなことを今日は感じました。

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