本当にゼニにならないのか、健康

きょうは昼食後に那覇にいく用がありますので、たぶんブログを書く時間がないでしょう。今のうちに書きます。
健康であれば、お金のかからない生活ができます。薬もいらないし、病院にもいかないし、何でも自分の身体を使って生活できる。自転車自分でこいで生活すれば、エネルギーも消費しないし。食べ物も簡素な食べ物でも満足出来ます。健康人はお金がかからない。だから、研究費をもらおうとするひとたちは、どうしても健康を強調する研究費申請がなかなかできません。なるべく、すごい病気、死にそうな病気、こわくて難しい病気に関わる研究をしようとします。それが悪いとはもちろんいいません。でも考えてみれば、健康維持ができれば多くの病気はならないですむのです。病気を治すことによる経済的なポジティブな効果はもちろんありますが、健康維持によって支出がへることは桁違いに大きなポジティブな効果があるでしょう。国としても健康立国をスローガンにすることが、非常に意義があるでしょう。
むずかしい病の相当多くのものは実際には長期の生活習慣による病なのです。喫煙と肺がん、食べ過ぎと糖尿病、肥満など例に挙げる必要もないでしょう。健康維持、お金のかからない生活を自然に死ぬ寸前まで維持できる人生、これを至福の状態とまず認識したいものです。自然に死ぬとは、まあその時代での平均年齢かそれ以上生きて死ぬようなものです。決して死とは具体的には自然におこらない場合が多いのですが、まあ健康がだんだん衰えてきてくればいろんな死に方があるということです。
それで、ひとこと健康科学の価値を最大限にたかめたいのがいまのわたくしの個人的意見です。
腹八分目、これはすばらしい健康のためのスローガンです。300年もまえに貝原益軒先生がいってます。いまのような時代では腹7分目かもしれませんが。
あとは毎日体を動かすこと、こんなところでしょう。それじゃ、健康科学の出る幕ないじゃないか、といわれそうです。
いやあるのです。当たり前を維持していく上での「注意」、「モットー」、「スローガン」をそしておりおりの[危険][危機」を乗り切るにはどうするのか、これがわれわれの課題です。そしてなによりも大切なことは自分の肉体を知ることです。そのために健康科学がお手伝いします。
これで充分に、健康は銭になるはずです。研究者にとって。

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