「選択と集中」はあかん!

きょう午後琉球大病院のかたがたがおいでになったので、共同研究の段取りなどの話しあいをしました。研究の承認をえるのに非常に時間がかかりました。ごくごく簡単なことなのですが、このご時世ですから慎重に、慎重な審査は、しかたありません。研究費の初年度はもうおわりですから本当は困るのですが。でもいよいよ始められそうで喜んでいます。

今日の、タイトルなんのことだと思われるでしょうが、これは日経にでていた、いま苦しんでいる電気会社はみな選択と集中をやったのだそうです。シャープなんかもテレビと太陽光パネルの二大事業に特化したので、困るし、だれもが知っているソニーやパナソニックの苦境もやはり選択と集中の結果なのだそうです。「選択と集中」の誤算に苦しむエレクトロニクス業界、というこの日経の記事かなり説得力ありです。
それじゃどこがうまくいっているか、というと日立なのだそうです。ここは複合企業を旗印にしていて、日立傘下の企業は1000社以上もあるのだそうですが、それらをほぼ温存してきて、その結果選択と集中が後攻国からの追撃によってずっこけた他の電気企業と違ってうまくいっているのだそうです。元々野武士集団といわれた日立のコングロマリット的な特徴が今の時代うまくいって、最高益が続いているのだそうです。
これまるで、わたくしの世界の生命科学の研究費の話しのように聞こえます。
しばらく前にここでも書いたように、政府の研究費の選択と集中はもうやめてください、とお願いしているのですが、もう一度繰りかえします。

政府の科学研究費のつかいかたで、シャープやソニーのような選択と集中路線は、本当に百害あるといいたいのです。もうその毒が日本の科学研究世界の肉体の奥深くに入っているとわたくしはおもいます。大変な、毒です。
野武士集団、いいじゃないですか。わたくしなぞ、若い頃は野武士にもなれなくて、ベトコンとみずから言っていました。それでも生かしてもらったので、いまもこうやって生きています。
日立ひとつでも千の企業が野武士でいると言うじゃないですか。いまの日本、広大な生命科学のフィールドでいったいいくつかの野武士研究室が棲息しているのでしょう。
年間5億円のお金を、20の研究室で分配するとして、各研究室は平均、2500万円をもらいます。その結果残りの200の研究室は競争審査の結果でゼロになります。ゼロです。大半の研究室は死になさいと言われるようなものです。これがしばらく続けば、実質消える運命にあるのかもしれません。なんども言いますように、ゼロ査定ではね。野武士でも200万くらいはないと、生きていけないでしょう。ベトコンでも年間50万円くらいの研究費がないと。でもこの5億のお金を220の研究室でわければ、みんな野武士くらいの研究室にはなれるのです。ベトコンならゆうゆうです。ただし、給料分は自分でなんとかしないとね。でも大学なんかは本来教育で給料をもらっているのですから、なんとかなるはずなのです。
政府の科学研究費は広く浅く、それが今の日本のとるべき最高の科学政策です。国家としての足腰を強くするためにこれしかありません。
国難の時には、選択と集中は最悪の策と思うべきです。所詮、人間の選択の策なんて愚かなものです。でもそれが分かったときには、企業だったらお陀仏かもしれません。野武士やベトコンを可能な数温存すべきです。
国立大学や公的研究機関のパワーを復活するに広く広くの策浅くてもいいのだ、といいう策をとる、これしかありません。いろんな可能性を国家として一生懸命しらべる時なのです。

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