広島と長崎の原爆をピカドンと比喩した時代が長くありました。原爆の被災者であることを隠した時代も非常に長くありました。1960年代の初めの頃でも、あなた(出身の)おくには?と聞いたときに広島出身のひとは、返事を言いよどんことがあったでしょう。
ピカドンの原爆は兵器として核爆弾ですが、数10キロの核を搭載したとのことです。福島第一原発には4つの発電所がありますが、各その千倍の核燃料があると聞きます。ですから、約4千倍の燃料があります。これをコントロールして発電するのですから、ある意味単純ではあるがその途方もないエネルギー量をコントロールしうると言うことで、20世紀の後半に人類が考案した技術の「粋」ともいえるものです。安全安全といってきたものの、世界でも技術水準が最も高いはずの日本で地震と津波で技術が破綻して、もう後戻りの出来ないことになりました。しかもそのピカドン4千倍の核燃料が福島原発の地に容易ならざる状態で置かれているのです。後始末に何年かかるか分からない、もしかしたら、その核燃料が突然そらおそろしいような牙をむく、という可能性すら将来的にあるわけです。
ここでわたくしが書いたことが間違いがあってほしい、本当はもっともっと安全な状態で置かれ水をかけられていると言いたいのですが、そのようには書けません。
このピカドン数千発分の核がなんとか制御可能な核燃料になる見通しが立つといいのですが、わたくしの知識ではまずいつのことになるやらまったく分からないという予想になってしまいます。
嘆息混じりに思うことは、かつての理論物理学者のうちの少数の人々が、原子力の平和利用はありえないと主張していたのはいかに先見の明があったかということです。
それは原子力の途方もないエネルギーと、そのエネルギーがもしも生き物に向かえばもっとも残虐な死をもたらす兵器になるからでした。そして、それは広島と長崎ですでに証明されてしまったのでした。
しかしながら、まだまだ原発をつかわねばならないという、大合唱が最近聞こえてきます。致し方ない面もあるでしょう。戦争に負けた次の日にはもうあらたな再軍備を考えだした人も日本では沢山いました。
色んな人たちがいて当然です。
しかし多くの日本人は一日もはやく原発を使わないですむ、技術を確立して欲しいと願っているでしょう。たぶんそれが最大公約数的ないまの日本人の考えでしょう。
そのために国民総動員の号令がでれば、わたくしも一人の兵卒としてお役に立ちたいと願ってます。