新藤兼人監督亡くなる、大飯原発の再稼働の流れ、小沢一郎氏の存在意義

新藤監督が亡くなったとのニュースを知りました。長い長い期間にわたって監督を続けておられました。ちいさな独立映画社におられて独立不羈を続けました。生々しくないと理不尽なものにぶつかる気持が続かない、と言っておられました。いつまでも現場にいて映画を続けたい、といわれ100歳まで実際現場にいました。
わたくしは、若い頃の作品がなんとなく不器用ながらユーモラスでかつ不思議な現実味があって、たまにしか見ませんでしたが好きでした。
わたくしは若いときにみた「鬼婆」が好きでした。1964年の作品というので、わたくしがまだ大学生だった時かと思いました。あといくつか見ましたがどれも国際映画祭で上位入賞したものでした。
新藤監督のすごさは80歳を越してからであくなきエネルギーでその後20年も現役でした。

いよいよ大飯原発再稼働の流れができたようです。
関西の知事たちはおもてだった反対を止めたようです。かれらの腰が砕けたかな。
再稼働はこれだけなのか、それともこれが次々の多くの再稼働となる出発なのか。
それとも、これが広く国民の大反撥を買うのか。
わたくしには分かりませんが、こんごの日本を占う決定的なポイントオブノーリターンに近づきつつあると思います。
「日本中が流される」、という言葉がわたくしの頭の中にあります。もうラストチャンスも残ってないのでしょうか。

そういう点で、さっきNHKニュースでみた小沢一郎氏は増税の圧倒的議論には流されないように見えました。橋下氏が出て以来、もう古くさいといわれそうですが、こういう存在感はこの時代それなりの価値があるのでしょう。

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