尖鋭のくにとなれるか、ジャパン

昨日はいろいろ忙しくて、気がついたら遅い時間になっていました。

多くの人が感じるように日本はだんだん変わってきました。幸か不幸か隣国とのつきあいのなかでいろいろと覚醒することがあるのだとおもいます。その結果、忘れていた「日本の体質」が復活してきたのかもしれません。
ひとことでいって、日本(人)は「尖鋭」になってきたという感じです。
経済大国ではあっても、尖鋭さに欠けていた、日本(人)にそういう部分があちこちで出てきているのです。
というか、歴史の流れで、そうならざるをえないのかもしれません。
尖鋭になるのに一番抵抗しかつ貢献したのは65才くらいになった団塊の世代であり、しかも日本の尖鋭さが明瞭になったのが、かれらが社会現場の一線から(みかけ)退場する時期と一致するのが不思議です。

尖鋭さをもった人材が社会にいっせいに沢山出てた感じがしませんか。
たとえていうと、日本の野球のヒーローが米国にいけばいつも日本組とでもいえるような、メディアがそばにいて、日本社会の一部をひきずって米国で生活しています。かれらは、非尖鋭組です。
それに対して、サッカーの活躍選手は、はるかに現地の生活に溶け込んでいます。6カ国をしゃべる日本のサッカー選手はもでてきました。かれら個人は個人として活躍しながらも、現地でも人気者になりつつ、シャープに生きるすがたを日本の若者に見せています。
こうであって初めて世界でも日本でもどこでもおおむね似たように生活できる。そんな感じを示しています。
野球とサッカーの外国でのパイオニアえある、野茂選手と中田ヒデ選手は,日本ではちょっと変わり者という感じでしたので共通点がありました。もうその時代はすっかりおわった感があります。
いまの外国で活躍するサッカー選手はフツーの日本人の若者スタイルで、外国でも日本でも「尖鋭な」存在感をしめしてかつ違和感がありません。溶け込んでいます。
なでしこの沢ほまれ選手はたぶん真にグローバルな人なのでしょうが、それに匹敵する女性選手はまだ日本にはいないので、チーム内でギクシャクがあるに違いありません。
彼女はたぶん野茂やヒデのような苦労もいま味わっているのでしょう。
この尖鋭さは社会のどういうところであらわれているのでしょう。いくらでも例をあげられます。
わたくしには登山家の竹内洋岳氏もその代表的な一人だと思います。
この方は、酸素を使いません。外国人と一緒にパーティを組みます。組織よりも個で工夫して動き、それでまさにワールドクラスになっています。ドキュメントを見ると、日本の伝統的な考えも持った方です。文句なしの現代日本の誇る尖鋭者です。
昔の日本は尖鋭者がうようよいたとわたくしはおもっているので、やっと尖鋭な雰囲気が社会のの中でひろく生き生きと生まれている、のでしょう。そうだといいのですが。
やはりスポーツや世界中にひろまる音楽の影響はとても大きいのです。かれらは現場での「演奏者」「実行者」として生身をさらして尖鋭を実証し、かつ注目を浴びているのですから。
そのようなレベルまで行かなくても、もっと人目にふれない社会のすべての領域で、尖鋭な生き方は可能になりました。
戦後日本の社会ではながらく難しい、とか不可能と思われていました。
そんな態度をとれば、ごく少数の例外を除けば、世捨て人とか反逆者になってしまったかもしれません。
しかし、どうも尖鋭者でもやっていけそうそれでも職を得て生きていける、という日本の社会に、雰囲気が出始めています。
ぜひこの雰囲気がますます拡大してほしい。

尖鋭路線はけっこういけるのはないか、生きるうえでのビジネスモデルとして、OKだと、そう思う日本の若者が増えてほしいです。
現在の日本の超大企業の創始者のすべてもそういうふうな尖った若者たちだったはずですし。しかし、国策的な創始者でなく、あくまで市井のひとりの若者として創始者をめざしてもらわないと。

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