そりゃ教育がよくないんじゃない?

今年最後のブログを書いておきます。

若い先生と話をすると大学院にきて博士をとろうとする若者が激減しているとしばしば聞きます。理由をきけばやる気がないのじゃないかという類の返事なのでわたくしには役に立ちません。要するに、大学院博士取得のコースは人生設計として危ない、という感覚が非常に強いのでしょう。
成功すれば素晴らしいだろうが,大半は成功しないのだから、こういう「賢い」判断なのでしょうか。それについてはわたくしは言葉がありません。

ただ、わたくしの場合では、大学院にいくかいかないかを最終的に決める頃の学生実習で、実験室であくせく働くのが非常に面白い,やみつきになる、こういう体験をしたのでした。
しかもそれを普通の学部の学生実習で体験したのでしたから、誠に幸運でした。
随分前のこのブログで一度書いたことがありますが、くり返しも悪くないでしょう。

学部4年生になって、実習はもうそろそろ大人扱いされてきて、かなり自主的に実験をさせてもらいました。記憶が正しければ(なにしろ50年近く前なので)、4月の最初の日に、先生が学生の人数分の試験管(8本)を持ってきて、ニコニコしながら説明を始めました。
これらはみな成分の違う粉末が入っているとのこと。一種でなく、二種入っています。中身は、全員違うのだから、自分でやらんと駄目なのね。
はい、この実習の目的は、これらの試験管内に入っているもの2種類を当てて下さい。自分の頭で考えて、実験をやって証明をして下さい。
そしてこれらの2種類の化合物を合成する反応を自分でやってみてください。
それじゃこれで、7月上旬まで自由にやっていいですから。
たしかそういう説明だったのだと思います。もしかしたら、4月でなく5月に始まったかもしれません。
でも、この大人扱いの実習に、わたくしはすごく活性化したのを憶えています。
全員、なけなしの化学、有機化学の知識を総動員として始めました。まず結晶を目を皿のように見つめたり、拡大鏡の下で眺めて色から、大きさから見て、学生実習質の薬瓶の中にある結晶と似てないか、とか見たものです。ふたつの成分を分けなければいけないので、溶解度などを水や有機溶剤に溶かして見たものです。
中には結晶のかたちが歴然と違うのもあって、ピンセットで一つ一つ分けるという剛の者もいました。
担当の先生は、当時の江上研で助手をしておられた景山真先生か小山次郎先生のどちらかだと思うのですが、どうもはっきりしません。おふたりとも後に北大に行かれたのでは?
先生の説明では、とんでもない難しい化合物は入ってないし、1ステップか2ステップ程度の合成反応が実習室でできるような常識的な化合物のものです、という説明がありました。
正直、この実習期間中に学んだ、自主的に学んだ有機化学の知識はそれまでの勉強で得た知識の数十倍はあったかもしれません。そしてその後のわたくしのなけなしの化学の知識の土台を作りました。
融点なるものを知って、成分を分離したあとは、それぞれ融点計で測ってそれを頼りにすくなくとも数十の候補化合物を分厚い文献で知りました。なかには融点のないものありましたが。
そのあとは、図書館にいって長いこと論文を探したり読んだりしたものでした。そしてできそうな実験を一生懸命やったものでした。すべてが手探りで。仲間との相談も多かったでした。クロマトグラフィーなどもその時やったのだと思います。
細かい経緯は忘れましたが、わたくしの答えは安息香酸とグルコサミンでした。分かったときは、ほんとう嬉しかったものでした。
正解に近づくと証明する実験は容易に思いつくものでした。紫外吸収スペクトルやアミノ基の反応とか、ペーパークロマトグラフィーなどもその時にやったのではないかと思います。また仲間の化合物についていろいろ議論したものでした。
2か月か3か月か期間は正確には記憶していませんが、この実習の終わりの頃に私は、実習室での毎日の実験にやみつきになっていました。
そして楽天気質のわたくしはこういう推理的な総合的な推理的な実験には自分は非常に向いていると信じたものでした。直感的に天職に近いものを感じました。
安息香酸はたしか合成できたような記憶がありますが、グルコサミンを合成するのは難しかったできなかったような記憶がのこっています。酵素反応をとりあえずためすようなことはしなかったでしょう。
いずれにせよ、もう半世紀も前のことですが、たしか理学部3号館の1階で実験をしていたはずです。
その実験室の場所と図書館で、わたくしはこの極めてすぐれた教育によって、研究者のタマゴとして目覚めたというかこの世に存在できたのだと思います。

だから、博士課程に学生が来ないと聞いても、心の中ではいつもそりゃたぶん教育がよくないんじやない、と思っているのです。

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