三日やったらやめられない、という言葉がありますね。
グルーグルに出てくる、例文は「医者と乞食は三日やったらやめられない」でした。もう一つピンときません。
医者と坊主,というのもあるとのことです。
乞食と役者は3日やったらやめられない、というのもあるようです。
何も働かなくても,生きていけるので乞食なのだとのこと。ほんとかな。
医者はすごい儲かるからだそうです。若い頃はそうでもないが、年取ればかなりそうでしょう。
わたくしが初めて聞いたのは、大学の研究室に入って、学者と乞食は三日やったらやめられない、というセリフでした。当時、大学院生の最後の年か、助手に成り立ての先輩の言葉でした。逆説に違いないとも思えました。
でも、なんか妙に納得したような記憶があります。見た目に相当苦しそう、つらそうだけれども、職業秘密的に実は始めたら辞められないなにかの安楽さとか良さというか醍醐味があるのではないか、こう思えました。もちろん食べ物を乞うような生活はしたことはないのですが。
それで30代のころは本当にそうだな、と思えた時期があります。成功した頃ですが。
20代の迷いのある頃は、一生楽しめるなど夢にも思えませんでした。
でも役にもたたないことに耽溺できる、この無用の用の学問生活にひたっていました。
辞めることが考えられなくなったのは、28才以降でしょう。
それ以前はおりおりに深く迷ったものでした。こんな生活でまともな家庭など将来持てるのか、持てそうにもありませんでしたから。
40代のころに三日でやめられない、という意味がどこか分かってきました。
つまり学者は口舌の徒になることを自戒せよという意味だな、やめられないというのは、そういう口舌の徒であることに満足すること、その魔力への警告なのだ、と。
最近は、若い人たちがさっぱり研究の世界に入らないと誰もがいいます。リスクの高い職業を目指すのは危ないという、健全な常識が勝っているのでしょうか。
実際にはそれほどリスクの高いのかどうか分かりません。むしろ博士の学位をとるところがリスクなのかもしれません。
大学院生は三日やったらやめられない、というセリフはかつて聞いたことがありません。
でも実際には後で考えると、人生で一番楽しかったのは,あの時期だったな、とわたくしは思ったりしてしまうのです。苦しいが楽しい、未知への夢が大きかったのでやっていけらのでしょう。でも自分は、無知で愚かだったな、と思えるのです。いまの賢明さがあればとも思えます。でも、無知と愚かさがあったからこそ、夢を追えたのだとも思えます。