80才で工学博士を取得した大阪の妹尾さんの朝日記事がほろりとさせ、かつこのような人こそ今の日本が一番欲しい人なのだと思いました。
博士論文は「木質バイオマス炭化によるカーボンシンク効果の評価に関する研究」。木炭を土中に埋めると大気中の二酸化炭素を減らせる。その炭を効率よく焼く炭化炉を設計した。炉のメーカーで長年培った経験と技術が生きた、なのだそうです。
指導する、石川教授は、実習が多い工業大で教える時は、博士号よりも技術士などの資格がものを言うと実感している。「企業や現場で働きながら、発明や技術革新を成し遂げる人も多い。一方で、博士号は足の裏の飯粒といわれる。その心は『取っても食えない』」と言うのだそうです。
まあそういわれてもしかたないかな。
しかし、妹尾さんは博士号を取った。なぜ? 「資源がない日本のこれからを考えたら、一人でも多く博士号を取って、新しい技術を世界に発信しないとあかん。自分が食えるだけじゃ駄目なんや」と。妹尾さんは、「『博士』の名刺を持って、農林水産省や環境省に炉の設置を交渉しに行きたい」と話す。その博士号を生かすためにも、「あと20年、100歳までがんばる」という。
その意気やよし、ぜひともやって欲しいものです。奥さまもえらい。夫が学位をとれとれと大学院生になるのを励ましたという。
それに、論文の英訳やパソコンの使い方は同じ研究室のサウジアラビアからの留学生、スレイマン・ビファリさん(45)に習った。大学帰りに居酒屋で、イスラム教徒のスレイマンさんはウーロン茶を、妹尾さんは焼酎を飲みながら、お互いの研究について話し合った。
この部分が泣けます。パソコンが不得意、外国語が不得意だと、論文書きはホントつらかったでしょう。その時に、サウジアラビアの留学生が助ける。
なんともうるわしい。いい話です。
明治の時代に戻ったような,意気にあふれた話ですが、でもこの長寿の日本にふさわしい80才のほやほやの博士さんです。
こういう話をずっと聞きたいと思っていました。
そしてとうとう聞くことが出来ました。
若くして、4人の弟妹を養わざるをえなくなっても、向学心を失わなかった妹尾さんはえらい、
そしてそのような、妹尾さんを育てたお母さんがえらい。
45年6月の大阪大空襲で自宅は焼失、一家は岡山に疎開した。まもなく母を結核で失い、父も療養所に隔離された。
勝ち気だった母の遺言は「技術者になれ! 大阪に出て、人の何倍も働け」。
だったそうです。