勇気をもつには

東京株式がだいぶ安くなっているようです。でも、昨年はたしか8千円とかいうくらいでそれが一時1万5000円までいってまたどんどん安くなったとはいえまだそこそこの額なのですから、こんなものなのでしょう。ただ、だいぶ損をした人たちがでているのでしょう。いっぽうでヘッジファンドとかいう人たちはさっと売り逃げするそうで、この相場で大儲けのはずです。

きょうはそんなことを書きたいのではなく、勇気とはなにか、日本的勇気とはなにか、ということを考えて見たいです。最近周辺国がやたらに日本のかつての侵略の非を述べ立て、日本を歴史認識という点で責めたてています。そのことをここで論じるつもりはありません。ただ、日本が米国を真珠湾で攻撃したのはとんでもない勇気だったと,勇気のうえになにか冠がつくような勇気だったともいえます。この冠には無知とかバカとかつくかもしれません。今の目では。当時の日本人以外の世界の諸国は欧米列強を相手に日本がドイツとイタリーとくんで大戦をしかけることを勇気がすごくあると思った人々がどれだけいたか。知りたいものです。
このような「勇気」をいまの日本人が誇りに思うことはほとんどないでしょう。でも日本人の大勇気はそういういものになりがちであることを経験知とすることは意義があるでしょう。特に最後は、広島、長崎の数十万人の原爆による日本国民の虐殺を引き起こしたのですから。それに沖縄島民の多く、東京大空襲で死んだ人々、たいはんは無辜の人々だったのです。
最近では、橋下市長の発言が世界で反響を引き起こしています。この人は行政家として相当な成功をおさめているらしいにもかかわらず毎日記者会見を延々とやってその過程で、戦争の話や従軍慰安婦問題について、長々と見解を述べている過程で、例の「必要」との見解が出てきたのです。
なにかの番組たしかたかじんの委員会で当日の会見を延々放映したので見たのですが、前半は至極もっともだったのが、仕事が終わった夕刻らしいその続きを記者にいろいろ聞かれた過程で、どうも脱線したらしくて、いわなくてもよい発言が次々に飛び出したようです。記者の誘導に引っかかったともいえるし、ついつい風俗文化に寛容というか嫌いでない人柄とかまあ公の人が口にしない類の言葉がつい出てしまった。それで、この発言が世界を駆け巡り、橋下バッシングが大規模でおこり今日に至っているわけです。
最初のいつもの会見での発言は勇気どころかいつもの持論、それに後のは脱線とでも言えるものですから、勇気とは無縁ですが、そのあとの橋下氏の反駁はなかなかの勇気の持ち主と見受けました。
まず大誤報であると。本人からすればその通りでしょう。しかし、微妙だと思われます。虎視眈々と大失言を待っているものからすれば、とうとう言ってくれたと思われてもしかたのない、あいまいな表現でした。しかし、氏はかなりそこから態勢を取り直して、反撃はしないものの、なんとかバランスをたもって、自己の主張を貫こうとしているようでした。つまり、平謝りではなかった。いまの時点では,橋下氏は水に落ちた犬のように見えるようですが、わたくしにはそう見えません。
しかし、いかにも日本人的勇気だなと思うのです。つまり欧米の理解者がほとんどいない、勇気の類なのです。
彼が一線をなんとか踏みこたえたのは週刊誌の見出しだと、米国人のタレントの友人による忠告とありました。それだけでも良かったとおもいます。
地震のあとの余震のように、橋下氏をさらに落とそうとするメディアなどの流れがありますが、まあ良く踏みとどまったし、これで参議院選挙を極端に落とさなければ、政治生命は続くかもしれません。しかし、このままでは、女性の敵、橋下市長というレッテルはそう簡単にははがれないでしょう。
人間にはいろんな側面があり、暴論をはくような人物が意外にも行動はじつに見上げるような君子であることは確かにありえます。側近の古賀氏の意見では、市長は人物的にバランスのとれた人格だということです。でもいまの世俗的理解は暴論の持ち主になっています。
橋下氏が日本的存在から国際的存在になるには時間はたっぷりあるのですから、大々的なモデルチェンジをすることです。周辺に能力の高い女性たちを配して、そして諸外国のアドバイザーをおいて政治行動をすれば、彼の日本的勇気は矯正され、世界に理解される勇気となるかもしれません。

真珠湾攻撃という日本の2千年近い歴史での(大馬鹿)勇気をもった軍事行動の要にいた山本五十六氏は、軍事的には真珠湾の後半年くらいは持つだろう、しかしその後は、ーーーと言ったそうです。政治家がその半年後に停戦休戦をしてくれるとの軍人の淡い期待は、木っ端みじんに砕かれたのでした。この日本的勇気は勇気の後のプランがあったのだけれどもしかしそれは敵国に通用するプランではなかったのでした。歴史的にみて、日本的勇気の最たるものでした。どこかに負けてもいいという気持と敵国も負けてもそうひどいことをするまいという気持があったのでしょうか。日本の戦争知のほとんどすべては国内戦争ですから、甘いのかもしれません。戦後日本は負けてよかったという、言論が風靡したものです。

わたくしが今日こんなことを書いたのも、研究の世界でも勇気はもっとも必要な人間的資質だと思うのです。しかし、わたくしたちの明治以来の先輩たちが日本的勇気を発揮した後に苦渋の結末を迎えたことがどれだけあったか、と最近よく色々なかつての例を想起して、考えてしまうのです。わたくしとしは、自分が死ぬまで考え続ける問題だとおもっています。

橋下氏が今後どのようになるのか、彼の場合には国内に相当の数の敵がいますからたいへんに見えます。
しかし、実は日本の学問発展の過去をふり返ると、日本的勇気を発揮した明治以来の優れた研究者が敗れたのは,ほとんどの場合に、国内での敵というか海外研究者への融和者というか、国内対立の勝利をめざす対立的な国内研究者の行動がが原因だったとも思われるのです。
実に、驚くべきことですが、これも歴史的な経験知として日本人的研究者のひとつの通性として、これをよむ日本の若い学徒には知っていてもらいたいものです。
決して悲観的な意見ではなく,事実としてです。日本の歴史は国内での対立を抜きにしてかたれません。日本のよさは、そういう国内的な多様な意見にもあるのです。経験知として,無用な国内対立を引き起こさないことが未来に生きる日本の一番の大切なポイントでしょう。あくまでも「無用な対立」ですが。

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