下流社会なるタイトルに惹かれて買ってしまい、ぱらぱら読んでみました。
ほんとはこの週末は本など読んでる暇はないのですが、昨日の夜、遅くなった帰宅のための電車の待ち合わせ時間入った本屋でついつい手が伸びてしまいました。でも、30分もあればこういう新書本は様子がわかるものです。
著者はマーケットの世界に長くおられるひとらしくて、なかなかキャッチフレーズがリアルで分かりやすいので、ふーんと感心してしまうところがありました。
実態はどうであれわれわれの世代の多くは自分は中流であるとおもっているけれど、その子供達の多くは下流にいると認識しているか、もしくは下流にむかっていると予想しているのだそうです。
わたくしは、団塊世代に入らないのですが、妻がしっかり入っているし(1100万人もいるとか)、団塊ジュニアなる世代には娘はギリギリ入らないけれども、息子二人はぴったり入ってる。
わたくしは、昭和ひとけたでもないし、新人類(なつかしい)でもないので、結局なんの名前もないななしの世代なのですね、誰かつけて欲しいものです。
紘一という名前の男性がわたくしの一才か二才上に多いのですが、これは八紘一宇からとられたものですが、アジア主義の時代に生まれて、高度成長期を団塊の世代の一歩前を歩いてきたのですが、どうも団塊の世代とはどこがどう違うのか、ひと言で言えないのですから、駄目ですね。
ところで、この本に戻ると、この本のいろんな人種の分類に即して、われわれの知っている人達を分類してみることを、運転している妻を話し相手にやってみました。
マーケットを調査解析する人はおそるべし、わたくしもこの著者の考えに染まっていくようでした。40%くらいの人達が下流とおもう世代がどうも大量に存在するようです。下流と貧乏は似ていて非なるものなので、とりあえず中流と思う親が生きているうちは、下流なので貧困ではないのでしょうか。
わたくしとしては、このマーケット的人間分類とは抜本的に異なるもので人生を生きてきたつもりなのですが、でもわたくしが好む食堂とか、服装とか、住みかたとか旅行のスタイルとか調べられたら、たぶん消費者というかそういうなかでは、ある種の既存のものにしっかり分類されてしまうのでしょう。たぶんシニアなんとかという名前がつけられて、消費行動はかなり簡単に予測されてしまうのかもしれません。
わたくしは、貧富の差が日本はこれから激しくなるといういろいろな学説をきいても事実はそうかもしれませんが、あまり感心したことがなかったのですが、この下流というネーミングにはちょっと感心しました。