朝日新聞に、東大分生研から発表された大量の論文に捏造データがあったという記事がありました。他の新聞ではまだ出ていません。スクープというかたちになっています。論じたいのですがすこし時間をあけたいと思います。
そのかわりこのあいだ飛行機内で書いたブログはロイヤルベビー誕生でアップしなかったので、きょうはそれを出しておきます。
忙しいので、話題は沢山あるのですが、すこしずつです。
若い頃、つまり20年か30年か前ですが、長老の先生に学会の懇親会などで、君たちのはなしは細かいねえ、といわれて鼻白んだものです。そりゃそうですが、でも細かい話以外に持ち種がないので、しかたないでしょう、がまあ無言の返事だったわけです。
わたくしもその長老の年齢になって、やはり同じようなことを言いたくなる衝動に駆られることが最近は多いです。国内の会合でとみに多いです。
でもそれはまずい、かれらも返事もしにくいだろうし、嫌味にしか聞こえないでしょう。
それで自制心がはたらきますから、なにもいいません。むしろ「たいへんおもしろかった」、などと嫌われない長老になりたくて、そういうことにしています。ただまれに道を踏み外すこともあり、それを目撃したひともすこしいるでしょう。
じゃほんとうは、どう感想を述べたらいいのか。
たぶん、かつての長老もいまのわたくしも、「もうちょっと聞いたことのないおもしろい話を聞かせてよ」と言いたいのかもしれません。
細かいのではなくて、聞いたことのある,聞き飽きた話でない話、新鮮な話も聞きたい、こういうことでしょうか。
若いとき、つまり40代や50代の頃は「進歩」という考えにひたすら浸かっていましたので、このあいだの話、つまり一年前より、ほら、こんなに進みましたよ、と言いたいのです。
でも聞くほうはあんたの話は何度も聞いたよ、しょせん似ているじゃない、ちょっとくらい進歩しても、でもそんな話、たいしたことないし、小さい話じゃないですか、細かいはなしでしょ。結局そんな感想になってしまうのです。
聞いたことのない「おおっ」と思う斬新な話を聞かせてよ、こういうことです。
ながいこと科学の話を聞いていると、そうなるのでしょう。わたくしももう五〇年間絶え間なく、研究の話を聞いています。気持ちとして、目のさめるような話をききたいのです。
でも、長老と若手、まあ、ちぐはぐな関係になりがちなのですね。若手には目がさめるようでもなかなかそうはならないのです。
たぶん日本中でこんな風景が多いのでしょう。
ただ長老のいない40代や50代の指導層だけの大学や研究所では、なんの対立感もなく相も変わらずの「細かい話」がひたすら横行して、それを退屈におもわない「若手」がたくさん輩出してきているのでしょうね。
このあたりが、いまの日本の最大の問題かな。日本柔道界の問題と結構似ていますね。
ちょっと、ぞっとする話をしてみました。
たぶんぞっとしない人がおおいのでしょうが。