前回書いたのにはもうすこし追加したいことがあります。
わたくしはもう国内学会にも真面目にいかないし、研究費も一緒にもらうような仲間がいないので国内の様子があまりわからない。でもだからこそというか、孤立者の感覚で、捏造の新時代に日本は入ったという感触があるのです。その理由は研究費の流れが新時代にはいったので、とうぜんそこでおきるストレスや軋轢もタイプが変わってきて、生存のためにやってしまう捏造のタイプも新時代に入ったということなのです。世間ではあまり知られてないですが、捏造論文をだしたとして懲戒処分をうけたひとたちが裁判に訴えて、かなり高い確率で勝訴であったり示談になったりしているのです。
でも今日言いたいことはそういうことではないのです。
つまり捏造データが生みだされる環境はかなり単純でない。外部からみると、研究主宰者の意にそいすぎるようなデータがでてくる不自然なしくみがラボ内にあることが多いのではないか、と疑わせるのです。
学問の世界は民主主義とはおよそかけ離れた世界になりがちで、合議や多数決などではなく、主宰者の意向でおおむね動いていくものです。高額研究費を使っているラボでは特にプレッシャはハンパでなく、そのプレッシャはいろいろなかたちでラボ内ではストレス誘導の尋常でない人間関係症状を生みだしうるのです。
捏造の実行者は現場のポスドクであっても、ポスドクが実際にボスから強い捏造の指示があったといい、主宰者は金輪際そんな指示などしていない、こういう状況は充分にありえます。
つまり芥川龍之介の藪の中の小説にあるように、ひとりひとりいい分を聞いていると、真相は分かりにくい。誰が首謀者なのか、主宰者が示唆をだして、実行はポスドクがした、そんなことは今の日本のラボ内を考えたらありえます。
まともな人間ならいくら主宰者がこうなるはずだと言っても、まさか捏造はしないものですが、なかには捏造をある種の予定調和的行為と考える人物がいれば、やましさを感じつつ実行することはありうる、としか解釈出来ない事例があるようです。
主宰者側は、ポスドクに情熱を込めてこの実験をやればこうなるはずだと言って、なにが悪いと言うでしょう。
こんなことを書いてきたのも、わたくしが最近感じる事は、そういう人間関係が存在するのをすべて分かった上で、いまの時代こういう研究成果がでれば評価を受けるはずなので、この線でどんどん行こうじゃないか、という研究室の主宰者やその追従者というか学生やポスドクが増えて来ているのではないか、ということです。いいたくないのですが、共犯者的な人間関係になりがちラボ内です。
高額研究費で運営される研究室の内部は密室になりやすく、研究自体の内容もおおむね秘匿されることが多く、内部においても外部からも批判というものがほとんどあり得ないものです。
批判があるとすれば研究費の中間評価や事後評価です。この評価を乗りきるために有名ジャーナルに論文を公表するのが至上目命令的状況になる。
国内トップクラスの研究室のほとんどがそのようになればいったい日本の生命科学の未来は?と考えるのは自然ではないでしょうか。ちょっと悲観的すぎるとはおもうのですが。
どうしたらいいのか、わたくしの持論ですが、高額研究費のたとえ10分の1でももらえてただし職の保障があるところで、主宰者はそれ以上の欲もなく、しかし元気よくしかも質素に研究をするのであれば、捏造とも無縁、無茶なストレスも受けない研究環境を作れる人たちだと思うのです。
日本の未来はそういうラボがどの程度の数あるかにかかっていると思います。日本にあるラボの8割がそうであるのなら安心ですが。
でも政府は重点と集中に邁進するようですね。