利根川進さんのわたくしの履歴書のなかでの言葉

日本経済新聞の私の履歴書のシリーズは現在は利根川進さんです。わたくしは日経を購読していないので毎日は読んでいませんがそれでもこれまで4回ほど読みました。どれも、おもしろい。今日、機内で読んだのは21回目で「記者からの吉報」とあり、見出しがノーベル賞に半信半疑、単独受賞、審査に高い信頼とありました。
利根川さんのノーベル賞は、その業績を理解すると他の受賞者の業績が凡庸に見えるくらい、すごいものです。当時は破天荒とおもえたものです。
ノーベル賞の中でも、特別に三重丸がつくようなもの、と昔よく学生さんに言ったものです。今日の分はそのノーベル賞受賞を知った日のことを話題にしていました。
電話で知らされた利根川さんの最初の返事が、共同受賞者はだれですか?というものでした。すると、他の研究者の名前は出ていません。単独受賞のようですとの答え。
どうしてそんな質問をしたのか。その理由がはっきり書かれていました。この年1987年、ラスカー賞が利根川さんと他の米国の2研究者に与えられました。利根川さんはこの著名な2研究者について、以下のように書いています。
残りふたりの研究者は抗体多様性の謎を解く研究で,私(利根川さん)と正反対の[生殖細胞系列説]に立っていました
ところがわれわれが次々に発表するデータを見て、形勢が悪いと判断したのか、途中から主張を180度転換したばかりでなく、いかにも自分たちが「体細胞変異説」の証明者であるがごときキャンペーンを展開していました。(中略)
その点、ノーベル賞委員会とカロリンスカ研究所は研究の成果のみに的を絞って私を単独で選んでくれたようです。ノーベル賞が,他のもろもろの賞とはかけ離れた権威を維持し、広く尊敬の対象になっていることの理由を,身をもって感じた一瞬でした。
と述べています。
なるほど、とうなずけます。
ラスカー賞がある程度政治の対象になるのに、ノーベル賞は全然違っていた。当時の日本の分子生物学者の多くがうすうす感じたことが、受賞者自身から語られてたいへん貴重な言葉と思いました。
わたくしも人づてに利根川さんがこのように思っているとはきいていましたが、このようなかたちではっきりとした氏の言葉として証言されました。それを、たまたま旅行中の機内で読めたこと幸運と思いました。

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