たぶん沢山の人が桂文枝の父親を捜してどういう人であったのかを示したNHKの番組をみたでしょう。
わたくしもその一人でした。
桂文枝が父に一才で死別し、その後は母親一人に育てられ、母親が父親のことを息子に詳しく言うことがまったくなかった。その経緯が深く深く納得出来る秀作でした。最初の頃はどのように展開するのか、感動するようなドラマがそもそもあるのかどうか、文枝師匠も視聴者も半信半疑だったのですが、だんだん引き込まれて行きました。
順風満帆の経歴だった若い夫が肺浸潤になり、さらに追い打ちとして兵隊として招集され一挙に病状が悪化し招集後短期間で亡くなってしまった。
夫の姑に子供は夫の家で育てるからあなたは自由になりなさい家を出なさい言われて、そのことが原因で家をでてまったく消息がつかめなくなってしまったこと。若い母の人間としての誇りに気づかなかったのか。
ここに人生のすごい綾がありました。姑も悪気はなく、良かれと思っていったでしょうが。
ただ嫁一人孤立無援の夫の家のなかでいた若い母が息子をだいて姿を消してしまうのも無理は無かったのでしょう。
このドキュメントの背骨になっているは母の誇りだと思いました。誇りが何十年もの忍耐を支えたのでしょう。文枝が大成功してから母が夫の墓を作るエピソードも感動的でした。
このドキュメントがドラマよりもはるかに興味深いのは、文枝師匠の番組を見るあいだにどんどん変わっていく言葉と表情でした。
言葉を生命にする落語家が何をいうかわたくしも固唾をのんだ、スリリングな瞬間が何度かありました。
番組の最後に、大阪城そばの真田山にある戦死陸軍兵の記念館のなかに沢山の遺骨があったのですが、そのなかに文枝師匠のお父さんのがあったのです。番組担当者が発見したようです。
そこにいって文枝師匠が小さなお父さんの骨壺を手に取りしばらくはなんとか平静を保っていたのが、壷の蓋をあけて中を覗いてそこで、こらえたものが堰を切って。号泣しました。一才で死別した父の骨、あったのでしょうか。
涙なしには見られないシーンでした。
万感ということばがありますが、その中のどの感情が奔出したのか。たぶん無数の感情が、文枝師匠の年齢の何十倍ものもろもろの感情がでたにちがいありません。
その一瞬を最後にとって視聴者に提出した番組作成者の労を讃えたいと思います。
いつまでも記憶に残る、戦争時代の日本人の苦労を考えさせる秀作でした。
わたくしは今回文枝師匠はわたくしより一つか二つくらいわかい同世代とわかりました。
母親が天皇陛下にあっても恥ずかしくないような息子を育てるのだとずっと言っていたというエピソードもよかった。また父親が大変に真面目でそしてとても優しい人だったという証言を聞いた後、長い無言の時間のあと声を振り絞るように、とても嬉しいとひと言、言ったのが強く記憶に残ります。文枝師匠はこれから自分は父親の分も一緒になって生きていくという言葉が自然に納得出来ました。