いま日曜の昼時、午前に2時間刈り払い機で筋肉労働をして遅めの昼飯にソバを食べてやすんでいるところ。
ソバのあとに食卓にあったクルミを5つほど一つずつ割って丁寧にたべて、甘味はないけれどもこれで満足かなとの感想をもちました。
もうすぐたかんじんの番組が始まるのですが、最近はそれほど渇望感はなく、メンバーも大きく変わったしそろそろ卒業かなと思いだしています。
このクルミですが、ことしはわが家のクルミの木沢山実をつけました。送ったりもしているのですが、食べきれません。さっき雑草を刈っていたら相当数見つけました。味はフツーですが、耐久食品です。皮の中にあれば,皮の外へでても一年たっても味は変わらずです。。
この今や大木となったクルミの木もとは直径1センチにも満たない苗木でこの比良の土地に植えたのでした。高さも50センチくらい価格も500円くらいでした。寒風吹きすさぶ土地の外れに植えたのですが、3年くらいまったく育ちませんでした。夏のあいだに葉が20枚くらいつく程度でした。さらに何度も刈り払い機でうっかり切ってしまっいました。根が細くて地面から抜けたこともあり、あきらめたこともあったのですが、でも地面にもう一度植えて生き延びて、でもこんな遅い成長では遅かれ駄目になると思っていました。
ところが、猿,イノシシ、鹿の被害にたまりかねて立派なケージを作ったときに、クルミの幼木は端にあって捨てられずに残ったのですが、これを機会に激変がおこりました。
なんと成長知らずだったのに、たった一年でわたくしの背をはるかに越えるスピードで伸びました。ケージの存在で風が弱くなりかつ日陰も出来たのが原因かもしれません。
それからはあれよあれよというまに伸びていまは樹木の先端をつめる事態になりました。実も100個を越えるくらい。これからは木が太くなるように背はあまり伸びないで、余裕のある樹木になって欲しい。こう思っています。
教訓は単純で、ちょっとした環境変化を契機に生き物は激変するということですね。
植物は花粉や鳥の糞になって子孫で遠くにいけても、成木は人が介入しないと動けないので、ためしに環境を変えるのはたいへんな可能性を生みだすかもしれません。
クルミの木から3メートルくらいにある銀杏の木、ことしは随分きれいな黄色となり眼を楽しませています。高さも5メートルくらいでクルミの木よりすこし低い位です。
この銀杏には悲話があります。苗を買ったのはクルミとほぼ同じざっと10年前でした。この苗木も寒風に弱くいつまでも背が伸びずしかも風のせいで幹がくねくねと曲がってしまってすっきり伸びる銀杏の木の面影はありませんでした。
ある年、もういじけてしまってもう駄目かなとおもって何枚か残った黄色になった葉を見つめた記憶があります。
不思議なことに、次の年根元からすっと素直に伸びた細い幹がでてきました。ケージを作った次の年だったでしょうか。おもしろいことにこの新しい幼木にまえからの古い母木は巻き付いたのです。
その年の秋には幼木はずんずん伸びましたが、母木はやはりいじけたままでさっぱり伸びません。
それで暮れの頃に、幼木に巻き付いたまだまだ若い母木を切ってしまいました。
それでどんどん幼木はまっすぐ伸びました。もう幹の太さは青年の木の貫禄です。
あの母木を残していたらどうだったろうか、考えることがあります。
もうすこし待ってあげるべきだったのかもしれません。