今年の流行語大賞が選ばれたそうです。4つも選ばれたそうで、それらは
「今でしょ!」
「お・も・て・な・し」
「じぇじぇじぇ」
「倍返し」
だそうです。みんな知ってました。一つかふたつくらいしらないのが研究者らしくていいのでしょうが。
みんなそれぞれ、持ち味があっていいですね。
ところでこのあいだの仙台訪問時、さらに石巻と女川に行きました。
両地とも短時間の訪問でした。行きは車を乗り継いで海側に沿って行きました。被害の様子をすこしでも知りたかったのです。
なにか書きたいのですが、書きだせないのです。ショックだったからといえばその通りですが、書けないのはそれが原因ではありません。
つまり何を書いても本当の事を書けないような気がします。
一つだけ書けそうなことは女川町の終点、代行バスでしたが、終点から坂を降りて、家が一軒もないところをしばらく延々と歩いたら、売店があって、そこに入りました。狭い売店でした。
わたくしよりすこし若そうな女性が店をやっていたので、彼女と小一時間話しました。
地震と津波のその日のことから80日間の避難生活のことをすこし合いの手をいれましたが、ほとんど聞きづめでした。
途中で、インスタントラーメンにお湯をついでもらって食べましたけれど。
この話の内容も書いたからといって、女川町のようすが伝わるとも思えません。つまり見えている様子を書いても人々のことを伝えられないような気がします。
売店の女性もなにか印象的なことを言ったのでなく、淡々と起きたことを話すだけなのですが、そのはなしと道路と区画を作り直す工事用車両以外になにも見えない周囲の光景を足すと、やっとすこし語れるかなという気分です。ひっくりかえった大きなコンクリートの建物の下にはまだ人がいるかもしれないから撤去してほしいという意見は現地で聞いて初めて分かりました。
ともあれ、何を書いてもまともなことを何も言えないそれが女川の印象でした。気持ちがふさがってしまって。でも現地で会ったりみたりした人々は表情は暗いどころか明るいものでした。それで、どうしていいのかわからない、そういう気分です。
石巻の印象はもうすこし複雑です。
はっきり復興というかかなり元に戻っているのでしょうか。でも海岸沿いにだんだん町に近づいて、漁港や工場地帯をみてから、町の中心部を訪ねたものから見ると、印象を軽々にはいえない。何を言ったらいいのかよく分からないのです。
石巻市では行方不明者をいれて約4千名のかたたちの命がうしなわれたのです。
女川町では、町民の半数以上が犠牲者になったとあります。
そのことを考えるだけでも。
あの時以来、わたくしはいったい何が出来るのだろうとふさがる思いの中でおりおりに自問自答していますが、なにも答えが見いだせません。