十分理解もしてないのに、これはこうなのだと、決めつける。
これは、かなり分子生物学のある一面を示しています。
ある一面だけで、すべてが分かったように言えば、浅薄という形容であまり尊敬されないのが人間社会の通念でしょう。
しかし、分子生物学の世界ではこれまでどちらかというと、ごく一部の知識でもそれを用いて、これはこうなのだ、と決めつけがちです。というかそういうふうなことを繰り返して、この分野が発展してきたのです。とりあえず、新しい性質がみつかり、それで興味深い物語ができれば、それでその配役をしているものは、配役の役割以上のものとは思われないわけです。
しかし、研究が深まったり、集中的な研究が行われていくと、時間の経過と共に、生体分子のような物質がまるで複雑な生き物のように、理解されていくことがこれまでの経験です。
ヘモグロビンの研究の歴史はその一例ですし、また最近ではp53というがん抑制性のタンパク質の研究もよい例でしょう。p53を記述した論文が37000もあるということは、くめどもつきぬ面白さがこのタンパク質の性質にあるからです。
だからしょっちゅう、新しく得られた知識によって、あるものの性質が修正され、変化し、深まっていくのは当然です。
しかしながら、これまでの分子生物学の発展の大半はこの一面的決めつけを繰り返す「おはなしのエネルギー」にあったとわたくしは思っております。
かつて学んだことのある哲学では、認識はスパイラルのように発展すると主張する人達がいました。ひとつひとつのステップはたとえ浅薄のようにみえても、それらは力強いストリーを作り、それ真実であるかどうかが検証される。これが分子生物学の歴史でした。そのストリーは後から思えば浅さの目立つものとは言え、現に進歩している瞬間ではそのようなものは欠陥とは思われないのです。
分子生物学は実験科学データを基とする以上、実験を繰り返す程度の時間は進歩に必要だったのですが、コンピュータ科学に基礎をおくバイオインフォーマティックスでは、はるかに短い時間で新しいストリーを作ることが可能です。
たぶん、これから分子生物学のもっていた「浅薄さ」はバイオインフォーマティックスに継承されていくと「期待」しているのですが、まだまだのようです。