世の中にはよくわからないことが沢山あります。
わからないことが,拡大されて大事になることもあるようです。
卍まんじというしるしがありますね。お地蔵さんなどが入ったほこらなどによくこのしるしをみかけます。京都あたりでは、路地路地にお地蔵さんがあるのでどこへ行っても見かけるしるしです。
むかしドイツからきた大学の先生がこのしるしを見て顔色というか形相を変えたのをおもいだします。日本ではどうしてこんなナチスの紋章が路上にあるのだ許されるのだと血相を変えていいます。
わたくしもああハーケンクロイツね、あれは逆でしょう。書き方が違うんじゃない、日本では昔からこのしるしは使ってますよ、と。先生は疑わしげな顔でしたが,異国の地で騒いでもしかたがないとおもったのかそれ以上はいいませんでした。わたくしはこれらはまったく違うもの、単に見かけ似ていると思っていましたが、本当はそうでもないのですね。これらはもとも関係があったようです。
ナチスが使ったのは、逆まんじとか右まんじというようです。もともとのまんじはヒンズー教や仏教で古くから幸運の印としてしようされていて、左まんじともよぶようです。
しかし右まんじがドイツで民族主義運動のシンボルとされ、ナチスの党章にハーケンクロイツが使われてしまって、悪い記憶を呼び起こすということなのか、いまではどちらの印も公共の場で用いるのは禁止されている国が多いのだそうです。
ですから、日本ではどうどう認められているのですが、さすがにこのことで苦情をどこかの国がいってるとは聞いたことがありません。
日本ではまさか未来にこの卍狩りのようなことがあるとも思えません。
捕鯨のはなしです。これは厄介ですね。
海洋のほ乳類は、捕獲してはならないのだそうです。これは米国の話です。でも米国のネイティブの人達はいいと聞いていますが。米国的には、捕獲は残虐だと、米大使のキャロライン・ケネディさんがネットでいったので日本ではかなりの反響となっています。捕獲時に血が沢山出て海が真っ赤になるのがとても嫌なのでしょう。でも魚だって血は出るのですが。量がすくないと平気なのか。
米国では捕鯨の行為はもちろんクジラの肉を食べるなど論外なのでしょう。
日本でも大半のひとは捕鯨を歓迎したり鯨肉をしばしば食べたいとは思わないでしょう。しかし、外国人にやめろ、即時禁止しろといわれれば多数の日本人は気持良く聞かないでしょうね。余計なお節介をいうなというひとも沢山いるでしょう。
しかし、食生活の違いは偏見の元ということを知る必要があります。
明治以前の日本では四つ足動物の肉食はほとんどしませんでした。食べる西洋人に対して、深甚な偏見があったことも事実です。西洋人が嫌いという類の発想は食習慣の違いから生まれたいっても過言ではないでしょう。でも西洋人に肉食をやめなさいといったのは当時はお坊さんくらいでしょうか。逆に言えば、外国人に嫌われたくなかったら、その国で嫌われている食べ物をかれらの面前で誇らしげに食べる必要はまったくないでしょう。
ですから、捕鯨と鯨食を日本国内ですることに外国から邪魔が入ることをどう思うかです。わざわざ和歌山県の小さな町にやって来て毎日地元民と小競り合いをする、この人達をどうするかです。
これが地球のグローバル化なのなら,厄介です。
韓国と中国の政府筋の人達の考え方やいい方、どこかこの捕鯨問題と似ていると思う人が多いような気がします。
でもこれこそが,世の中にあるよく分からないことなのだとおもっています。
分からないけれども、ほっておくとそのうち大事になる。
というかもう大事になっているのかもしれません。
それどころか、たいしたことないと思っていると、このよく分からないことが巨大化する可能性すらあります。
尖閣、靖国、辺野古、どれもだんだん巨大化しているよく分からないことどもです。みんな猫の額程度の狭い地域なのですが、国運というか国家の命脈にまで関わってくるとなるとうんざりだけではすみません。
安倍首相がなにげなくいまの日中関係は、第一次大戦前のような英仏関係にならないように最大限努力すべきとかいったら、もうそうなっていると日本の首相が言ったとか拡大されて報道されているとかです。これもよく分からない話の一つになっています。
外国のひとたちはこの変わった国、日本のことなどほとんど分かってないことをよくよく認識する必要があると感じます。
だから外国人にどう思われたいのか、前もってしっかりイメージをハッキリさせておく必要があるのでしょう。日本人は目線は高くないのですが、危険ゾーンにいる感覚が鈍いような気がします。
西洋とわれわれの隣国人はおそろしいほど目線が高いですね。
だからすぐ衝突するのです。日本人がその目線の高さにむかっとして反論すると。