耳が聞こえないのに素晴らしい作曲をするとかで人気のあった佐村河内氏(この人の名前憶えられなくていまネットで調べました)が「実は」ということでいっぺんに破綻した話が最近ありました。わたくしは疎くてこの方まったく知りませんでしたが、テレビでヒゲもじゃもじゃの人物が記者会見できれいさっぱり剃って出てきてその違いに驚きました。作曲の代役がいて極めて長期に世間を騙していたのですね。しかし、記者会見の盛り上がりのせいかその後あまり話題になりません。
元都知事の猪瀬直樹氏、当選時は最高得票だったのにもう都民の多くは思いだしたくないようで、最近罰金50万円で決着したようですが、もうしばらくすると誰も話題にしないかもしれません。猪瀬氏は記者会見をして謝罪を繰り返しておりました。オリンピック誘致の立役者だったはずですが5千万円のことでいっぺんに破綻して知事辞職という目に会いました。公民権も5年間失ったとのことです。
こういう話題をしたのは大騒ぎであったものも時がたつといまの日本(人もしくは報道)はすぐ急速に忘れると言いたいのではありません。
むしろ、なにか非常に深いところで日本は変なことになっているのではないか、と思うのです。
どこがどうかというと、難しいのですが、強いて言うと世間の人々はこういうひどいことになった人達を見て、自分ももしかしたらこんなになったらどうするだろう、大変だろうとか決して思わないみたいなのです。つまり出来事を不安の念でみない、自分に即して見ない、こういうことに感じます。というか、報道の姿勢が特殊な人達にしか起こらない出来事としているからかもしれません。
48年間死刑囚として閉じ込められていた袴田さんと同じことが自分にもしも起きたらと思う人達の数は多くないのでしょうか。日本人の想像力の欠如というよりはやはり報道の姿勢のほうにわたくしは不安を感じます。誰にでも起こりうるとまでは言えないにしても、非常に一般性が高くて恐怖心をもって聞くニュースのトップだったと思うのですが。もちろん裁判官が死刑囚をただちに釈放したこと自体は素晴らしいのですが。
それで、問題の理研のSTAP細胞事件です。
いろいろな人にいろいろな質問を受けます。なんでこんな事が起こるのかまったく理解出来ないという類の質問で、分かるように説明してほしいというものです。
実はこの事件、わたくしが感じるのは特殊なできごとではあるが沢山の普遍的というか一般的な要素を含んでいるし、いまの日本の生命科学研究現場の問題というか大きな変質を反映している様な気もします。
小保方さんの成功と破綻は、みていてとても怖い。わたくしのような老人ですら怖いのですから、若い人達はどれだけそう思っているのか、そこのところが分かりません。
わたくしは学会のジャーナルの編集長をしているのですが、この小保方事件が起きてから論文投稿が極端に減っています。論文投稿すること自体が漠然と怖い、そういう雰囲気はいま日本国内の同業の若者たちのあいだであるのかもしれません。
最近聞いたのでは、いまは研究費の申請の審査が行われている時期なので、睨まれたら大変ということで、この理研問題で現役の研究者が発言するのにもっとも難しい時期なのだそうです。
そうは言いながらも、理研は政府にも突かれているらしいので、一つの決着が発表されるだろうと見ています。
小保方さんがどうなるかは前回の時の中間のの報告をみればおよそ見当もつきます。
その後は素早く忘れる段階になるのでしょうか。わたくしは事情はしらないので発言はしにくいのですが、早稲田大での博士の学位はなんとか剥奪されないような流れだとすこしは救われるのですが。博士の学位をとるのは一般的にとても大変なので。
笹井さんのほうについての決着はどうなるのか分かりません。かれの肉声はもちろん、コメント一つ聞こえてきません。そういう状況なのですが研究責任という観点からも無言を貫徹するのは、印象が強すぎて[急速に忘れる」段階に入れないでしょう。でも理研はかれは何も言わないまま関わりは薄いという判断を示すかもしれません。
しかし、多くの研究室主宰者は笹井さんが何を言うかそれとも何を言わないで決着するのか、固唾を飲んで待っているはずです。
わたくしもこの出来事が、なにか新時代の日本の科学の状況をしめしているように感じますのでしつこく話題にしているのですがなんとか救いのある方向に向かっていくことを願っています。
いっぽうでこのような出来事をひきおこす予備軍の人達がじつは日本はいまや沢山いるのではないか、そういう不安もそこそこあるのですが。というか、もうそうなっているという意見も相当強くあるようです。小保方さんのケースは極端にドラマチックでしたが、他のはそれほどでもないので、報道もそれほどでない。実態は類似の出来事であふれているのでは、とまで大げさに聞こえるように言う人達がいることは事実です。