もうあと何回満開の桜の花が見られるのか、考えているうちにだんだん真面目に深刻になり、無性に桜が見たくなりました。やはり今生のお別れには桜の木の下で、という伝統の願望が年をとるにつれ強まるのを感じます。沖縄にももちろん桜はあるのですが、咲く時期もまた見え方も違うので、わたくしの頭の中ではまったくの別物で分類されています。
木曜の夜に大津に戻って、まず坂本の太閤桜を見ることができました。日吉大社の桜はまだライトアップ無し。枝垂れはまだまだの時期。
それから、三井寺に行って、沢山の人達と一緒に夜桜を楽しみました。ほぼ満開。
前回はここに来たのはいつだったか、記憶が定かでなく。まだわたくしの母が生きていた時期にいろいろ桜を見ましたが、どこがいつか、妻と話すのですが、いったと言うことははっきりしてもいつかが分からないのです。三井寺の場合結局わからず。毎年沢山の桜を見ていたので、記憶がはっきりしません。それででもいつもながらの三井寺の広い境内を埋めつくす桜の花々、たっぷり満足しました。
それで昨日は吉野の桜をみるべく遠征しました。勇躍という気分でした。
朝に家をでて、近鉄特急で橿原神宮を経て行くわけですから、関西圏とはいえ遠征です。平安の時代なら文字通り何日もかけた道中でしたでしょう。
これまで何回吉野を訪問したか、妻とはすくなくとも三回は一緒ですが、それ以外に数回行ったのではないか。でも最後に行ったのは、いつか。
やはりまたわたくしの母と一緒に行ったのがいつかと妻と話しました。
結局妻と母がふたりで一緒にいったことにわたくしも同意しました。となると、ラボのメンバーと一緒に大勢で行ったのが最後だったか。まだわたくしが50才になった頃なのか。
みんなが幸せそうにして、取れた写真があります。懐かしい記憶に残る写真の一枚です。
一度忘却した古い記憶を辿るとやはり最後に行ったのはどうもこの20年前という結論になりました。ラボでは昔よくハイキングにあちこちいきましたが、ある時期から行かなくなりました。
昨日は非常に低温の日でしたが、傘をさすこともなく終日吉野の桜と吉野の風景と地元の人達との会話を楽しみました。次回はさすがに20年後は間違いなくあの世なので、できたら毎年はむりでも一年おきくらいには来たいと強く思いました。わたくしも千年ちかいこの地をおとずれたいろいろな日本人の一人のように習慣的な訪問者になりたいとおもいました。
それに案外秋の頃もよさそうです。
桜自体も良かったのですが、やはり終日吉野の歴史に触れていると、自分が時空を飛んで行きつ戻りつするのを感じました。若い頃にはまったくなかった感覚です。錯覚でしょうが、この吉野の地でおきたいろいろな出来事の主人公達の気持ちがなんとなく分かった気持ちになれます。
日本の心の源流の一つであることはまちがいありません。自分の心境の定点観測をここに来てするのもいいものだなと思いました。
沢山の収穫のあった訪問でしたが、最大のハイライトは、午後5時近く、もう閉まったあとの金峰山寺の蔵王堂に辿り着いたときです。「まだいいですよ」と言われて堂の中に入れました。それで予備知識まったくなく、秘仏の権現像三体を仰ぎ見ることができました。
一瞬目がつぶれるような錯覚を感じるくらいの迫力で、胸がゆさぶられるような体験でした。
これらの権現三体が、それぞれ釈迦、阿弥陀、弥勒の奥深いパワーをしめしているとの説明があり、なるほどと深く納得しました。それでこそ権現様にひれ伏せるのでしょう。
帰りは京都駅の伊勢丹で湯葉料理の食事をして家に戻りました。生きていることの幸せを満喫できた一日でした。