百年を十年にしても、さて?さて?という感じです。

昨日は親族に慶事があり横浜に日帰りで行きました。雑誌と週刊誌を買ってみました。理研の小保方さん問題について特集的な記事を並べていたからです。こういう特集ものがあるというのは、よく売れるからなのでしょう。みなさん関心、興味があるからでしょう。当然、出版側もうれるからには毎週記事を作る、そういうことになるのでしょう。
記事の多くは途中で読むのが嫌になったものが多かったでした。特にコメントを寄せる人達のコメントの内容が無益無害どころか有害有毒としかいいようのない歪曲性にみちていると感じざるをえないのが多くてうんざりしました。報道現場からの記事がかなりまともなのに、その最後にでてくる有識者の意見が現場をしらないもしくはそもそも科学研究の現場にたったことがなくてどこかで教授と名のつくポジションに理由もなくついたのか、と言いたくなるようなものなのでガッカリです。

一般のかた達も記事をいくらよんでもさっぱりわからないという印象でしょう。もちろんわたくしも同じです。問題はあまりに多岐にわたってしまい、登場する人々も多彩ですから焦点をあわせないと。しかもひとつひとつ論じないと。面倒だし、くたびれます。
このあいだの笹井さんの長時間の記者会見で,研究者のわりあい多くの人々が強い関心は失ったのではないか、とも思われます。理由は氏の説明がそれなりに達意で、氏がしかも副センター長であり、今後の展開に良心的に振る舞うだろう、だから今後は報道をきけば推移もわかるし、たぶん穏当な極端でない結末を迎えるのだろう、こんな風に研究者の多くは考えるものです。
でも、これはそうあって欲しいという気分ですから、これまで混沌だったのが、すこし見えて分かるようになっただけに過ぎません。しかし、みなさんわたくしもですが多忙な日々を送っているので、極端なことにならなければ外部にいる人間としては忘れたくなるくらい、はっきりしない情報の過剰な噴出でした。
しかし、STAP細胞はそもそもあるのか、そこに三段階があるといわれ、STAP現象、STAP細胞1,2段階とかです。検証がおこなわれていますが、容易に決着がつくとはおもえません。
小保方氏は研究不正をしたのか、これには不正をしたのは自明の理なのでいまさら論議はいらないという完全有罪派から、濃淡の差はあれ現状では有罪とは言えない、否定派があります。それに小保方ファンが非常に増えて、あの記者会見をきけば充分だという意見も世の中には沢山あるようです。とはいえ、なんらかの決着がいろいろなレベルでつくでしょう。
わたくしは、最近傍にいてふかく関わる笹井さんの判断をとりあえず頭に入れました。当事者にちかいのだから危ないのですが、でも彼の説明が一番頭に入りました。
Thesis (学位請求提出論文)中には未発表データはかなり多数含まれますので、それらのうちのどれかが後年になって発表論文に使われることはよくあることです。ただそれが本来の内容とは関係のない誤った使われたと聞けばうんざりします。もういい、聞きたくないという気分です。ただ、正しいデータはご本人により提出されていることも付記すべきでしょう。

理研はどうなるのか、どうすべきか。これが一番むずかしく大きい問題なのでしょう。わたくしはいまや関心を持ちたくありません。内部にいる研究リーダーはいちようにおとなしく、それで、でてきてしゃべるとずっこける人がおおく、もう関心は時間の無駄になるのでいっさい持ちたくない気分です。
STAP細胞にかぎらず、この間ずいぶんわたくしよりは百倍も千倍も知識をもってるであろう専門のひとたちと話をしましたが、首をかしげるほどに話が原始的になったりで、もういいです、この類の話は聞きたくないです。ついでにいえばiPS細胞の研究についても同様な感覚を持つことがありますが、素人のたわごとと受けとめられるでしょう。
このあたりが正直な所です。
百年河清を待つ、の大げさな百年を十年にしても、さて?さて?という感じです。日本の科学はいったいどうなっていくのでしょうね。

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