フェアーな競争とフェアーな選択

連休中に大津に戻ってとおもい、いま那覇の空港にいます。畑の手入れもしてと楽しい計画をしています。
冬のあいだ頑張っていたいくつかの論文も煮詰まってきてin pressになってきたのも増えて気分はいいです。
気が晴れないのが編集をしているGtC誌の投稿数の激減の問題です。どこまで深刻になるのかもうすこし時間をかけてみなくては。消費税増税の買い控えというのはこんな感じなのかな。ともあれ論文投稿ヤーイと叫びたい感じ。だからといってレベルを値切ることは出来ませんし。

匿名のひとたちとの対話はやはりわたくしの場合不可能だと分かりました。あくまでもわたくしの場合ですが。
ツイートで名前をだして反論というか意見をいってくる中川さんにはなにか返事をしなくてはとおもっていました。ただ、小保方論文に甘くして放置したり許したりすれば、それはフェアーな競争感を著しく阻害するというような議論でしたでしょうか。ニュアンスはちょっと違うかもしれません。
わたくしはジョブを獲得するのにフェアーな競争というのはあり得ないとおもっていました。
ただ、公正フェアーな選択セレクションをすべきだとは思います。
研究者間の競争というのはどういうものなのでしょう。10人にひとり研究費もしくはジョブが得られるとして、その10人間に公平な競争をさせるというのは無理でしょう。でも選択過程が説明可能ならフェアーであるかどうかは議論出来ます。
ある人事をやるときに、研究分野をみたらその狭さ広さで競争の範囲がおのずと決まるし、年齢とか性別とかが記載されていれば、もうそれだけで選別方向は相当定まってしまいます。
小保方氏がいかなる有利な選択過程をへたかはぜひ検証してほしい。
彼女の論文に不正があるということに理研が決めるのならば、それに対応して事を進めればいいのでしょう。ただ、今となっては、彼女が全ての罪をかぶるのがある人達にとって一番のありがたい決着になるということは気にならないのでしょうかね。あれとこれは、分けて考えろといわれても、それこそが組織温存のときにでるかけ声のロジックですからね。
理研の判断を待つ以外に周りの出来ることはないでしょう。いまのところ。
小保方さんの処分が甘いと、それが公平な競争感を阻害するというロジックわたくしにはわかりません。甘いかきついかは、誰が決めるのでしょう。理研しか決めれないのです。
理研が調査して決める事ですから。判断がでてから皆さんお考えになったらどうでしょう。
わたくしはなんの決定権もない一人の人間の感想とか判断を言っているだけです。
ひとことで言えば、見かけ甘い処分のほうが将来の理研にはベターだろうというわたくしの今の感想は変わりません。しかし大した事ではありません。理研がノーといっても、所詮小保方さんはあちこちから引っ張られてどこかに職を得ていくでしょうし。

タイトルとURLをコピーしました