博士号資格者の共通理解が実質的にも制度的にもないこと

忘れないうちに、前回投稿分に付加したかったことを書いておきます。

それは博士とはDoctor of Philosophy, Philosophical doctor、略してPhDと言われますが、日本ではこれとの関係がしっくりしないのです。
日本の博士号取得者で自分はこの元の外国語の意味する学位取得者だという人たちが少ないことは特徴かもしれません。
理学博士、医学博士、農学博士、薬学博士、文学博士、法学博士、経済学博士のように細かく指定されています。学術博士というのも有ります。
本来の博士はなんでも対象にして論じる、つまり古い時代の哲学者のような人物だったのでしょう。日本では苦心してこれに博士と名づけました。国語辞典を見ますと、博とは、範囲が広い。広く及ぶ。「博愛」「博雅」「博学」「博識」「博文」「博聞」「博覧」「該博」「広博」と。博学とか博識とか。なんにでも考え意見を述べることができる。スペシャリストの反対みたいな人たちですね。
ところが学問が細分化してしまって、日本では博士とはスペシャリストと思う人たちがおおいです。大学でも多くなったのでしょうか。
しかし大きな総合大学で歴史の古い大学ではいまでも博識とかの博を強調するものです。日本でもわたくしが学位をいただいた頃にはまだまだそういう雰囲気が色濃くありました。
本来からすれば、博士には何々学というものは必要なく、単に博士でよい。
外国のPhDはおおむねこちらで、精神は博く学問に接して一定のある水準に到達した人たちに博士号を与えるこういう学校制度なのですね。ですから、PhDはとったときは学問の世界では言葉は悪いがチンピラです。もっと偉い、博士に大を付けたくなるような人たちに文学博士とか学問領域を付けたりする国は結構あります。
日本では理学博士は大学院卒業者で一定の資格を満たせば博士とする、つまり学者としての運転許可証を与える、これでまとまったのですが。
あいにく文学部などは絶対駄目、とかで40歳や50歳にならないと博士がとれない時代が長かったでした。つまり大博士ですね。医学博士には随分むかしはいかがわしい話があったのですが、ある時期から厳しくなったら医学でPhDをとろうとする殊勝な若者は生存が極めて困難になりました。
つまり日本は博士取得についての一定の理解がないのですね。
わたくしは理学畑なので運転許可証で十分と思っているのですが、それも一定の理解がないみたいです。
どうしたらいいのか、日本の特殊事情を言い立てるのはすっぱりあきらめたらいいと思うのです。
日本語の学位論文を書くのは許すとしても、公表論文はすべて英語であり、かつ口頭の学位論文発表も英語でおこなうこと、それに博士はすべて一種博士でまとめるまずこのあたりからやらないと、日本の博士大学院は世界の中でのランクはなかなか上昇しないでしょう。
前回かいたことと合わせれば、大問題の一つに博士号の資格者の共通理解が実質的にも制度的にも日本ではごく漠然としていることでしょうか。

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