田矢さんが亡くなってもう5ヶ月近くになります。
田矢さんが亡くなったということを教えていただいたのが5月末でした。
非常に驚いて、そして心の整理がつきかねてその事実をどこにも書けませんでした。
まだ生きている、と心のどこかで思いたかったのでしょうか。
田矢さんと話したいろいろなことは、まだけりがついてないし、まだまだ話し続けていたかったし、そうあるべきだったのです。でも彼はとつぜん逝ってしまったのでした。
わたくしにとって、あまりにも「未完」の部分が大きすぎる田矢さんとの死による別れ、どうにも受け止めにくかったのでした。
しかし今月、もう数日後には東京で田矢さんをしのぶ会が開催されます。
とうとう何かを書いて心の整理をつけたいと思うようになりました。
それで一体何を書くのか。田矢さん、ごめん、すみません、ちゃんと話を続けなくてと彼にまず謝りたいのか。
彼との会話は最後の数回はすぐ押し問答みたいになって。
お酒をやめるかごくごく少量にするべきといえば、彼はそうしていると返事をして、本当ですかそんなことないでしょう、この間もとか、そんな風になってしまって。
でもいちばん彼に謝らなければいけないのは、彼の業績の立派さをもっと賞賛すべきだった、かれに直接それを言うべきだった、という風に感じます。もう会うことがないのならもっと彼のp53やRBの研究の立派さを賞賛すべきだった。
なぜそれが出来なかったのか。心のどこかにいつでも出来るという気持ちがあったのか。
それを言わないうちに彼がこの世を去ってしまったのは、わたくしにとって大きな誤算でした。
申し訳ない。彼の自負心に見合う言葉を伝えるべきだった。
長年の友人としてのつきあいを考えたら、痛恨の極みが心残りの筆頭が、このようなみかけごく世俗的なことになろうとは。
田矢さんの魂は少年のように純粋で、そして非常にシャイで本当の気持ちをいうことが出来なかったのにちがいない。かれは誰ともそのような純な関係しかつくらなかったのでしょうか。
ひと言でいえば、田矢さん一代の快男児だった。
浪花の男の気っ風の良さと頭の明晰さ、ほれぼれするような男でした。
おりおりにやらかす彼らしい失敗がかれの愛嬌でもあり、だれにも好かれる資質でした。
こよなく愛した酒、それにより早すぎる死がやってきてしまった。
しかし、やはり大往生とおもうのが、一番でしょう。
そういえば彼はにやりと笑って、また今度はあそこに飲みにいきましょうよと言うでしょう。
彼とのつきあいは未完なので、また会わなくてはと思いながら、わたくしも自分の一生を終えるような気がします。