昨日東京の学士会館であった田矢さんを偲ぶ会にいってきました。
参加者のみなさん、それぞれが田矢さんと違った形でおつきあいしてきた様子がありありとわかりました。
かれは大学の教授にもならずで、極めて著名な研究者になっていても所属機関では机一つという状況だったわけですから、教授の大物の死を悼む会などとはまったく次元がことなり、ぜんぜん雰囲気のことなるものでありました。でも、とてもよかった。
みんな田矢さんとのお酒の席でのつきあいを楽しそうに懐かしそうにそして感慨深く語ってくれました。
わたくしも心の整理がやっとついたみたいで、田矢さんがもうあの世に行ってしまったという事実を受け入れることが出来るようになりました。
会が終わって、HFさんとしばらくお茶を飲んで頭のこりをほぐしてから帰路につきました。
多くの若い研究者(わたくしより)たちが田矢さんのおかげという言葉をつかいました。田矢さんがいかに親切であったか、またおしげもなく好意をしめして便宜を図ったようなエピソードがたくさんありました。
田矢さんは、非常に心優しく親切な人だったのだということがよくよくわかりました。
何でこういう人が組織の長にならないのか。
でもそれが日本という国柄だし、田矢さんの魅力もそういうものにならなかったからこそつきあった人々の心に永遠に存在し続るのでしょう。
わたくしも聞いているうちに、そうだわたくしも田矢さんのおかげを甚大に受けているのではないかということに、はたと、気がつきました。
というのもこの偲ぶ会に着ていてばったり会った、KHさんは、いまわたくしの沖縄での主たるテーマになりつつある人血液のメタボローム解析研究の緊密な共同研究者です。
そもそもKHさんがわたくしのラボにきたのは(もうはるか昔ですが)、田矢さんの強い勧めがあったと聞きました。
KHさんは臨床医師でしたが勇敢にも分裂酵母の成長に必須な遺伝子の研究で学位をとりました。臨床医師の大学院生があのような基礎的な学位論文の研究をするのはかなり異端でしたでしょうが、寛容にもかれにそのような研究をさせてくれた指導教授であったK先生にも甚大にお世話になりました。いろんな人ひとの好意の上にわたくしの今の研究があることを痛感します。
KHさんはかなり長期に英国で癌研究のポスドクをしたのでした。
KHさんはいまも医師と研究者の二足のわらじをはいていますが、わたくしにとってKHさんの存在はいまのわたくしの研究に不可欠な役割を果たしてくれています。
もちろんKHさんにも感謝しなければいけませんが、そもそもの発端を作ってくれた(たぶんどこかの酒席で)田矢さんにも心からの感謝の気持ちを持たねばなりません。
ありがとう、田矢さん。
わたくしもまさに田矢さんのおかげでいまを生きているのでした。