最近感じている研究生活感の変化

沖縄でフルに研究を開始してもう3年以上たちますが、この2年くらいはやたらに忙しくてちょっと参り気味でした。
ほとんど研究にのみとられる時間なので不満をいってるのでなくただただ忙しいそういうことで研究以外のことに使える時間は睡眠、食事それにちょっとした息抜きの時間でした。
研究に忙しいという意味のひとつは新しい研究テーマが複数ありますので「学ぶ時間」、得た知識を「身につける時間」が半端でなく膨大なのです。
新しい知識を学んでも学んでも次々に次の問題を解くために必要な知識摂取の必要性が出てくるので寝る時間が文字通り惜しい日々が続いてきました。
恐ろしいのは学んでも知識を吸収してもすぐ忘れてしまうことが多いのです。なかなかつらいものです。しかし加齢により賢明になっている面もあるので最低限の自己流の対応はしています。

それともう一つの時間がまったなしで忙しくなったのはラボメンバーの博士の学位の取得の問題でして、研究室の中のことなので詳しくは書きませんが、そういうことにとられる時間はデッドラインつまり締め切りがありますので長年この稼業をやっていますが、ひとりひとりにかける時間は今も昔もかわりません。
本人が骨身を削ってやっているのですから、こちらもある意味それに合わせてやってと、そういうことになります。

気持ち的には、この「勉学の忙しさ」は大学院生時代に戻ったような気がします。
教授になった頃、新しい研究を始めて研究グループの運営とアウトプット(成果)を世に問うことで躍起となり、研究発展のためには絶え間なく新知識の吸収と体得に躍起となっていた40才くらいの頃も忙しかったのですが、それとちょっと似ています。こんな年齢になってそんな体験をまたもう一度日々味わうとは夢にも思いませんでした。

こんなことをきょうは書いてきたのも、ここのところ本当にたいへんでしたが、なんかやっと先の目途がたってきたような気がします。そんな気がこの1週間くらい感じだしてきました。
研究のほうはホントに区切りなどつくことがあり得ないし、成果をあげる大変さはまったく軽減してないのですが、なんかほのかに東の空に明るい光のようなきざしが見えだしてきたような気がします。
これが本当に夜明けのきざしなら嬉しいのですが、どうでしょう。
たぶんやっと研究プロジェクトに慣れてきたのでしょう。また、この沖縄の研究環境でなんとか新しいものを生み出すことができそうな気がしてきたのでしょう。
こういうのはあくまでも感覚なので証拠を出せといわれた雲散霧消するようになります。
しかしかつてはそういう感覚をもちだすと2,3年でかつては真の成果がうまれたものですが。
しかし実績的には、60才を超してからは予想の1.5倍か2倍くらい時間がかかっているので、5年くらいかかるのかも。
そもそもそんな時間が自分にあるのかどうかそのあたりも自問しながらやっていかねばなりません。
とはいえ、まだしばらくはこのあまり人間的でない忙しさは続くのでしょうが、大変さの峠は越したな、すこし余裕をもって周りを見出せるかな、と思い出しています。
ありがたいことです。
しかし、余裕のまえにわたくしは11月に入ってからの1ヶ月半はかつての阪神タイガースにあった死のロードというのに似たようなスケジュールが続きますので、せいぜい気をつけます。

ところで京大生がプロの投手になるとか。ロッテの、ドラフト2位とか。すごいです。
田中君ですか。工業化学、難しい卒論テーマもやっているようで。
昨夜、インタビューを見ました。しっかり青年、ひとことひとことが感じいいですね。
京大出身初のプロ、頑張れとテレビの画面に向かって思いました。
見てるうちに、なんか熱い気持ちになってきました。
そういう気持ちにさせる青年です。
本当に実績をだすためにも一流プロの体作りに励んで欲しいです。

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