2015年になりました。
多くの人々には期待と不安が交錯した年のはじめでしょうか。
不安の一因は、日本という国の実情はお役所や報道で理解しているのと実際はかなりの違いがあるのではないか、自分たちは日本という国をちゃんと分かっているのか、ということでしょうか。
わたくし自身もそのような感覚が強いです。
いちばんショッキングななのは子供の相当数が十分に食べてない、食べられないという報道に接することです。また高齢者の貧困層が増加の一途であるという記事をよむことが増えることです。
しかし現実に町を歩いたり人々が大勢いるところに行くとそのような感覚をつかむことはほとんどありません。
将来の不安は増えてきたものの目の前の社会に格別な兆候を認めることは難しい。
日本は昔から生活に苦しい人達は沢山いたし、だからこそ身を粉にして働くとかいう表現が当たり前のようにあったわけです。日本が富裕な国であるなどと「錯覚した」のは戦後70年間でもごくごくわずかな時期だけだったでしょう。
でもこれからもっと思いもよらない社会問題がでてくるのではないか、という不安は多くの人々に共有されているのだとおもいます。
わたくしは人間の寿命のことを研究テーマの一つにしてからずいぶん日本の社会を見る目が変わってきました。
寿命がのびるのは素晴らしいことのようだけれども、実際には日本社会にとっては一番予想外のことが起きる原因になるのではないか、と感じだしています。
いっぽうで高齢者の能力や有用性が社会的にほとんど利用されていないとも強く感じています。
高齢者の能力、分かっているようだけれども実はほとんど理解されてないのではないか、思います。
前向き的な発言をさせていただくと、高齢者のもつ独自な能力を研究テーマとして探求することが非常に大切だし、日本という国家の将来を考えるうえでもとても大切だと思うのです。
話が横道にそれたような気もしますが、しかし日本の未来は高齢者がいかに社会にいかにかかわるかで随分変わってくると思うのです。
ひと言でいえばなんらかの生産性のある仕事にだれもが死ぬまで従事できる社会をいかに未来にむけて作れるかだと思うのです。