ブログ開始後10年

2005年の3月にこのブログを書き始めました。それから十年経ちました。
最初の書き初めは論文を沢山書かなけれいけないのに書けないいうぼやきでした。10年経っても同じようなことを書いている自分に苦笑いです。
この10年間いろんなことがありましたが、ここ1,2年はなかなか思うようには書けないな、という感想が先に立ちます。勝手なことを書いてだれかに迷惑をかけてはいけないとか、職務については非常に厳しいしばりを感じます。
のんきに気楽にというのは最初のうちだけだったかもしれません。
沖縄に住民票を移して4年が経とうとしています。頭よりも体のほうは慣れてしまったようで、この時期内地に戻ると寒さが身にしみます。
あたまのほうはまだなかなか沖縄人の意識にはほど遠いかもしれません。
辺野古や普天間を話題にしたいのですが、正直感じていることは書けません。たぶん自分はよく分かっていないのでまだまだ自制したほうがいいという判断を下ろしているのだとおもいます。
沖縄地元の人達の意見に耳を傾けるのがもっぱらです。
ことしは敗戦後70年、区切りの年です。日本人は終戦の年に戦争でどう死んでいったのか、やはり記事や報道が増えているので時間があればできるだけ読んだり見たりしています。
今朝はフィリピンのかたの記事をよみました。沖縄とフィリピン国は違うが戦争末期に人々が似たような経験をしたという点でよく似ていたのだと言うことを知りました。
このかたは戦争直後一人でもおおく日本人を殺したいと思ったそうです、それだけひどい目にあったのでした。その人が戦後何度も何度も日本にきて知日派のトップのようになって、そのかたの正直な意見で本当に日本の裏表をよく知っているとおもいました。

沖縄の人達は一段とより複雑な感情を持っています。敗戦の年、あと数ヶ月早く日本が降伏していたら、沖縄の人達の死のほとんどはなかったでのでした。昭和天皇に対する感じ方、内地の日本人の沖縄を見る目や感情、日本を祖国とするにはあまりに悲しく情けない、そういうもろもろの気持ちは分かったつもりです。それがもっと深く感じられればわたくしも沖縄の心が分かるようになるのでしょうが、まだまだです。
辺野古のこれからわたくしにはまったくの未知の世界です。このまま静かに新基地ができるともおもえません。
なにかをきっかけに世界の耳目を集めるような状況が生み出される可能性もないわけではないでしょう。
県民の相当多くが、内地に対するアピールはあきらめて世界に向かうべきだという意見に耳をかたむけだしていることは間違いありません。

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