なかなか頼もしい若者たち、それと長浜ラーメン

きょうは、64年前に日本海軍が真珠湾攻撃をした記念日ですが、明日時間でもありましたら、ふれたいとおもいます。
建築偽装問題はやはり予想通り首都圏マスコミのはげしい批判もあり、国のサポートはかなり前面に出てきているようです。首都圏に圧倒的多数が住むマスコミ人も自分の家の問題となれば、口調も筆致にも相当な迫力が出ています。
これはとても良いことです。ともあれ、よい前例を作ることです。今朝、ホテルの食堂で出会った友人達も自分の住むところは本当に大丈夫かと皆心配してました。一方で、もしも10パーセント程度の建物がこの偽装に該当したら、その経費はどうなるのか、という疑問も出されました。
大地震で東京が激しい被害をうけたらどうなるのでしょうか。携帯電話とインターネットの二つが生命線であるなら、首都圏大被害としてもこれらは全国的にはちゃんと機能できるように、地方分散が絶対に必要でしょう。マスコミも首都圏以外でも独立に機能しうることが本質的に大切でしょう。

昨日の学会でのシンポジウム講演などをきいていると、発表よりも質問にたのもしい若手世代が出てきているようで、たいへん安心しました。一昔前では、質問が無くて座長が、仕方なくそれではわたくしのほうからなどと無理して質問するような雰囲気があったのですが、それはまったくありませんでした。つぎつぎに「普段着的なよい質問」が大会場で行われていて、とても安心したし、良かったでした。質問の内容も、テンションの高いものはあまりなかったのでしたが、どれも成る程とうなずけるものでした。若者達の服装も普段着的でありながら、ちょっとおめかし的な主張もあり、わたくしの嫌いな画一的ジーンズ姿も一時よりはグンと減って、これはとてもいい流れではないかと安心した次第です。若者たちの新しい潮流と受けとめました。
ポスター会場もいい雰囲気でした。いまの大学院生世代は、学問を楽しんでるんだな、と納得した次第でした。損得意識や自己顕示欲の強い40代半ば以上の中堅、シニアクラスが浮いてくる感じがしました。この楽しもうとする若者世代が、本当に力を発揮できたら、日本の科学技術の将来は素晴らしいことになるでしょう。
しかし、世界はそれほど甘くないので、危機に陥ったときのこの楽しみ若者世代がパワーを発揮できるように、わたくしのような年寄りは常に考えていなければいけません。
さて、この分子生物学会は最初は600人の会員、150程度の演題程度で27年前に始まったのですが、あれよあれよというまに、会員数が1万6千人に達して今年の発表件数は4千を超えています。この増加というレベルでの成功は、学会そのものが年会にほとんど干渉しないことで、年会を「研究者の自由な集まり」と定義したことで、それ以上でもそれ以下でもない形で運営したきたことでしょう。学会は現在はジャーナルを持っていますが、それ以外は年会を行うためだけに存在するくらいの感じでした。この気楽さと気軽さがよかったのでしょう。会長とか年会長とかはまあいればいい、という程度のもので権威も権力もないかたちでやってきました。他の学会とも適当な距離を保って、全方位的によい関係を保つというのが、この学会の使命でしょう。遺伝子や生体分子の構造と機能を対象として、おもしろそうな生物現象を研究するのなら、誰でもやってきて自分の研究成果を話す、これが根幹にある思想です。
日本は言論の自由な国ですから、小さな研究会をやったりするのに、ほんらいなんの資格も制限もありません。最初は手弁当というか自己負担でやればいいのです。会合を開くことが、自由というのはなんと素晴らしい、とわたくしなどは思ってしまう世代です。昔は、自分の知らないところで、そんな会合をやるとは、けしからんと怒り出す、権威者が掃いて捨てるほどいたものです。
わたくしは40才の頃に染色体ワークショップなるものを始めたのですが、これはいまでも続いてます。世代も交代してやってます。去年、一昨年と出てないので、今度はぜひ出席したいと思ってます。酵母遺伝学フォーラムというのも比較的小さな会ですが、これも永年にわたって出席してます。いま沖縄でやろうとしている、分裂と停止の細胞制御という国際会議もこれから毎年やりたいと思ってます。参加者の規模はしばらくは50人程度を考えてます。

きのうは、一日が終わって、京都と沖縄から来ている人達を主にそれにかつての出身者も交えて食べに行きました。インターネットで調べて、長浜魚市場のそばの居酒屋で20人近くが会食しました。やはり材料がよいので値段も安くて楽しい一夜でした。わたくしは胃の一部を開けておいて、終わった後で、半分くらいのメンバーと長浜ラーメンを食べに行きました。何軒もあるうちのひとつの屋台で食べました。今後のために、本場の標準の味として記憶にとどめておきたかったからです。うん、なるほど、という以上の感想は特に無かったのです。わたくしのラーメンに対する原体験はいわゆるしなそばの醤油の透明なスープですから、この豚骨を基礎にしたスープはやはり子供時には知らない味なので、豚骨スープの微妙な違いを感知する能力は持ってないと思います。
食べた後わたくしだけ方向が違うので15分くらい、ぶらぶら歩いてそれからタクシーでホテルに戻りました。タクシーの運転手は別なところのほうがおいしかったはずと言ってました。でもわたくしには、記憶にとどめるに十分な味でした。

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