長寿社会の問題について

きょうは五月も最後の日となりました。特別な日ではありませんが、日曜でいますこし時間があるのでなにか書いて見たいとおもいました。何を書きたいかというよりは、なにか若い人に向かって書いて見たいとおもいました。
わたくしが若いときは時代の流れなんて言うものの大半は前の時代と結局は同じようなものだから、ごく一部が変わるのでそこだけ気にしていればいいなどと、簡単に思っていました。それから時代の流れの変化はやはり顕著な現象に依存するので、そこの所を見ていればいいなどとおもっていました。それで当時の学識の高い人達の意見をみて自分の考えも作っていました。ひと言で、わりあい簡単に図式的に未来社会を見ていたような気がします。
しかしこの年になってみると、そのような考えは全くの間違いではないものの、先見の明のない弱い未来予測でしか無かったと思えるのです。
未来社会の予測の問題は基本的に社会科学者や経済学者が担当してわれわれ理系の人間は技術的な変化がいかに社会にインパクトを与えるか、付加的に考えるものなどど安易に考えていました。しかし、地球の規模や環境問題をしっかり考えてそこから得られる考えを基礎に将来を考えねばというのは、私などよりはもうすこし若い世代からはじまったのでしょうか。
わたくしにとって一番の予想外は、人間の長寿化がここまで大きな問題になるとは思わなかったということです。
若い人達にとって長寿の老人は社会の負担でしかないと思われるとおもいます。
いっぽうで65才以上の高齢者が人口の50%を超えたときに社会の維持と未来をどのように考えるのか、近未来と30年50年後の社会はどうなるのか、ハッキリして答えはない今の現状では、未来予測で一番の不安は社会の高齢化ではないでしょうか。
20代の若者にとっては父母の世代ではなく祖父母の世代になります。今の日本だと戦前生まれ昭和一桁近くの祖父母になるのではないでしょうか。だいたい80代前半でしょう。この人達が後10年、もしかすると20年近く生きているとすると、どういう社会になるのか。
なるべく楽観的に考えたいとおもうのですが、どう考えたら楽観的になるのかそのとっかかりがつかめません。国家の財政の破綻がないこと、それだけ高齢者が多くなっても社会の活力がしっかりあるようになって欲しいとおもうのですが。
未曾有という言葉はつかいたくありませんが、高齢化社会が未曾有の問題を突きつけてきたことはたしかです。世界の中でこのような問題で日本が先端社会であることは確かです。
こういう問題に日本の政府の動きは鈍いというかあまり力強い政策があるとも思えません。
われわれが自助の気持ちで考えて行政に働きかけるもしくは社会に働きかけることが大切でしょう。

たぶん最も大切はことは世代を超えた議論をいろんなレベルですることが大切なのでしょう。
若い人達の遠慮の無い発言も聞いて見たいものです。
高齢者は自分のことですから、もちろん真剣ですが、自分のことであるがゆえに近視眼的な考えにおちいりやすい。
たとえば、広告費の膨大なサプリメントや健康系の製品。これらの消費は医薬の金額と変わりないと聞いたことがあります。一方でサプリメントの大半は単なる気休めで効果がほとんど無いと言う意見もあるようです。サプリメントで消費しているお金を別なところに使えないか、という考えはどうか。
この一点だけでも議論始めたら大変かもしれません。しかし消費しているお金は半端でなく大きく、みかけ野放しの広告状態になってるかのようにも見えます。誇大広告とは直ちに思えないのですが。

とりとめも無く書きましたが、次の考えを作るための準備として書いて見ました。

タイトルとURLをコピーしました