いやー、勝てましたね。オウンゴールとは。でも、勝ちは勝ち。これで一歩前進。
今日はバーレーン戦の試合を見たいので、早くラボをでました。出る前に、セミナールームでの雑談で、今日負けたら大変と言ったら、AK君が「絶対勝ちます」と力強く言った。彼があんなに自信を持って発言したのは聞いたことないので、そうかもしれん、と説得されました。彼は将来あんなふうに言えるのなら、良いボスになれるかもしれない。
試合は、中村は当然として、やはり三都主アレックスが出たので、戦意高揚、後半特に締まりました。しっかり、終了数分前にイエローカードを貰うところがアレックスの愛らしいところ。今回は中田、福西、中沢をはじめ皆いいところが守備で出ていましたね。わたくしは、フォワードは鈴木の不器用ながらも「えぐい」ところが好きです。高原の良さはどうもよく分からない。まあしかし、相手も強かった。勝負の差は紙一重だった。だからハラハラして、面白いのでした。
いくさを楽しいとはいえないかもしれないが、いくさを始めたら止められないほと面白いのでしょうね。オウンゴールで勝つ味はどうなのでしょう。それに一方で負けた方の味の苦さは。
昨日は急いで書いたので、ちょっとだけ書き残したところがありました。
論文投稿から公表を勝ち取るまでの過程には「いくさ」と似てるところが相当あります。ただ、あくまでも似てるのであって、ほんとのいくさと思ってはいけませんね。戦闘意欲が強く出すぎては勝てるものも負けてしまう。あくまでも、やってることは投稿と審査ですからね。でも、一年くらい投稿論文の改訂を要求され、引き回されて、結局拒絶され、競争相手の論文が通れば、いくさに完敗と思いたくなるし、復讐心も出てきがちです。わたくしも投稿論文がアクセプトされた喜びよりも、つらい思いをしたことの方をずっとよく憶えてます。でも負けても結局、命をとられるわけでもなく、誤った結論の論文を出す場合のダメージに比べればはるかにましです。
それに研究の勝負は長いマラソンのようなものですから、短期の結果で一喜一憂しない方がいいでしょう。やはり10年単位の成果が結局はものをいうのです。他人は案外よく見てくれてるものです。
研究者は結局真理探究をしてるのですから、真理探究の成果を発表する過程がたとえどんなに「いくさ」に似てようとも、真理探究の徒というスタイルが根本にないと、存在自体が危うくなるし、尊敬されませんよね。
でも、尊敬されるのを選ぶか、勝者となるのを選ぶのか、二者択一なら、あなたはどちらを選びますか。最近の若い人達は、勝者を選ぶのかな。
わたくしの持ってる「教養」では常に尊敬のほうを選ぶべきというものでしたが。
でも、オウンゴールをいりませんというという類の「教養」はさすがにもっていません。