サイレンス・カー

非常にたくさん話しを聞いたわけではありませんが、今回は、聴衆のレベルの高さを感じました。いつの頃から、こんな風になってたのか、たぶん今回平素、行かない会場に顔を出したせいかもしれません。
毎日見慣れ聞き慣れているところでは変化を感じにくいのが、滅多に行かない所での変化には気がつくということかもしれません。聴衆のレベルの高さは、聞いている姿勢というのか、発表が終わった後で、会場にただよう雰囲気というのか、討論の質もありますが、そういうもので感じました。
英語でのセッションも、自然な感じで講演が行われ、質問の英語もこなれていてこのあたりも感心しました。世話人が自発的に英語でやることを決め、それに従う、この方式がいちばんいいのでしょう。上から英語でやれとか指示がでるのは、わたくしはあまり好みません。やはり学生の多くは英語で聞く、しゃべるのはすこししんどいので、いちばん人気があって、最先端の話しを英語でやるのがもっとも教育的という気がします。英語の話しを熱心に聞かざるを得ませんから。

昼までで会場を去り、博多駅に向かい、自宅に帰ってきました。乗った新大阪までのレールスターというのでしょうか、偶然サイレンス・カーなる車両にあたりました。アナウンスもなく、車内販売も無言、車掌も無言というもので、これは素晴らしい体験でした。
わたくしはJR西日本のことよくきつく言ってますが、このサイレンス・カーは、いまの日本では最高のサービスです。この静かな車両に本当に乗りたかったと、心から思いました。
それに引き替え、わたくしがよく通るJRの駅や電車では、電車が2−3分遅れると、10回くらい、深くお詫びしますと、繰り返します。この程度で深くお詫びしていたら、もっとひどいときはどんなお詫びをするのか、とつっこみたくなりますが、とりあえず喧しくてたまらないのです。一時は5分程度の遅れでもほとんど何も言わなかった時期があるので、最近方針が変わったようです。はやくこういうサイレンス・カーとサイレンスプラットフォームが通勤電車に増えて欲しいものです。

それから、またついでに言うと、博多のタクシーの運転手さんたちの質の低さに驚きました。人間性はみなさん良さそうなのですが、乗客を乗せているということをすっかり忘れてる自分本位の運転が多いし、たばこの煙もうもうで平気で乗客を乗せるし、かなりたるんでるとみました。ベテラン運転手がこれだと言うことは、経営陣の運転手教育がそうとうにゆるんでいるとみました。

ほんとうは64年前の真珠湾攻撃に至る経過について、何か書きたかったのですが、ちょっと時間がありません。でもちょっとだけ、書きます。
開戦しても、いいタイミングで休戦か和平を考えていたのが、現場の最高責任者だったのでしょう。しかし、相手はとことん日本をお粉砕するつもりでいたのでしょう。
結局現場の責任者が高度の政治判断を放棄していたことが、いちばんの問題だったのではないでしょうか。わたくしは、これが日本ではいまでも常に同じ問題が起きているような気がします。
現場のことがいちばん分かっている人間が、その上で権限を持っている人間と意見が相違したときにどうするか、真珠湾を真面目に考えれば、後から見れば、その現場責任者にいちばんの責任があるような気がするのです。
山本五十六や東郷外相についてわたくしがきつい意見をもっている理由です。

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