錯覚かもしれない感覚

とうとうカレンダーが最後の一枚(2ヶ月で一枚のものでは)となって、ことしも暮れてきたかと思わざるをえません。
短いと言えば短いですが、でも長い一年だったと思います。

いろんなことがありました。まだ2ヶ月も残っているので、残りの日々を楽しんで2015年はどういう年だったかよりよく想いだせるようにしたいものです。

一年を通じていちばん倦まず弛まず努力したのがやはり論文書きだったのでしょう。メモを見ると10報もあるので驚きですが、それぞれいろんな段階です。

うんざりするほど時間がかかっているのがミトコンドリアの論文でこれはわたくしがそもそも知識が乏しいので、難行苦行なのは当然です。
でもだいぶ形をなして来ました。
ヒトの血液のメタボライトの論文はこれもひどく難行苦行でしたが、とうとう形を見せてきました。この年になってこんな生みのしんどさを味わうのはつらいですが、でも自分はまだ新しいことを学習できることに驚いています。
残りの中では高望みをしているのもあってこれはどこまで高望みが実現可能なのかそれを推し量りながら書いているところもあってこういうのも時間がかかります。
高望みをしてないものももちろんありますが、それらrはそれらなりに論文の中に難所があって、そこをどうクリアして通過していくのか、考えるのがポイントになって予想外に時間がかかります。

もちろん一斉にこれらを進行させるのは不可能で、また一日の仕事してふたつの論文を手がけるのはどっちかがほぼ完成に近づいたか、もしくは始まったばかりでないと無理です。

中盤の難所ではちょっと進むのにも一日くらいかかるのはざらです。わたくしの場合は生のデータを見たり確かめたりしないと先へ進めないので、生デーが気になり出すと、時間がやたらにかかることが多いです。中には5年前の生データを半日くらいかけて新たに自分で整理することもあります。けっこう新しい発見があったりして。

そんなこんなでことしは後2ヶ月弱の期間ですがどれがどこの段階までいくのか正直見極めは不可能です。
でもこういうことを今日書いたのはかなり進んだものが増えてきたので、ちょっと心に余裕ができてきたのは正直なところあります。

何年やっても論文書きの技量は遅遅としてしか進歩しません。でも進歩しているような感覚、錯覚かもしれませんが、あります。

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