英国ではこのところオズボーンという政治家が現れて基礎研究の庇護者の役を演じているようで、報道記事でよく見かけます。見出ししか見なかったのですが、ここに来てだいぶ英国の科学行政も煮詰まってきていろいろわかるようになってきました。最近の英国基礎研究の予算などはかなり不調のようでして誰に聞いてもさえない話しか聞こえてきません。基礎研究の職を失ったり自発的に辞めたり人々も多く、くらい陰鬱な感じが強かったのです。一方で英国にとっては科学はvitalだという科学者自身の運動も出てきてかなり世間の関心をつかんだようでした。
今朝あたりのニュースではかなりいい線が出てきたようでホッとしたという感想が見出しにでています。詳細はもうすこし時間が経ってから、新聞ではなく知り合いの研究者達から聞こえてくるでしょう。
私がよく知っている研究者やもっと近く自分のラボの出身者の様子なども聞こえてきてそれで実感はつかめるでしょう。
事態は容易ではないのは、研究費だけではなく、若い後継者が消えつつある分野では別な深刻さがあります。わたくし自身は後継者とかこういう問題には楽観的でいっぺん廃ったように見えてもまた誰かが出てくるものだ、と経験的に思っていますが、研究自体を志す若者が減っているのならそれは深刻だとおもいます。英国では研究より金融を目指す若者(特に男性)が増えて、その傾向は日本でも同様のように見受けられるのですがそのあたりが今後の英国の基礎科学にとってどうなのか。そのあたり関心があります。
全体的に俯瞰した状況の理解や今後の政策が必要なことは言うまでもありませんが、なにが将来性があるのか、そもそも将来性とは一体何にとってか?このあたりの疑問符が一番大切と思います。
英国の科学は不死鳥のようにまた羽ばたいて欲しいですが、状況はおもったよりこれまでずっと悪化していたのかもしれません。
行き着くところまできてとうとう英国にとって科学はvitalというsloganが出てきたといっていいのかもしれません。
それに対して日本ではどうなのでしょう。
日本ではここ数年の論文の引用回数とか過去5年間でどれだけ研究費をもらったか、特許申請はしたか、鍵になる研究分野のinnovativeな言葉はなにか、そういうもので研究者の選別や囲い込みが起きて、その様子をわかい人達がじっと見つめているようです。
日本ではこの要因以外には研究不正の問題の影が深くあってなかなか吹っ切れた明るい現場になってこないようです。
わたくしはいまの日本は科学技術はvitalに誰でも賛成しても、科学はvitalかということになれば引っ込む人達もかなり増えるでしょう。
わたくしはいまの日本は研究不正よりはるかに深刻なのが、研究の過度の宣伝だと思います。
日本人の研究者は謙虚にして宣伝しないというのはもはや時代に逆行のようで、まさかというような類いの誇大な表現が横行しているように見えるときがあります。
これは生きるためには仕方ないとみるのか、研究の実力低下を加速させるのではないか、わたくしは後者のほうでかなり心配しています。確信犯的な誇大宣伝はご本人にあまりネガティブでないが、良心的な研究者が自分の心を裏切って宣伝に励めばその罪と結果はひどい、これがわたくし長年の研究生活で得た体験からの言葉です
研究者も時代の子なので、自らをも含めて近未来の日本の科学技術政策でいちばん心配のタネです。