わたくしがまだ20代の学生の頃、日本人の科学者はいかにあるべきか、議論もしたし考えたものです。当時はやはり左翼系の考えもつよく自国に根ざした科学、もっと恥ずかしながらいえば人民の為の科学などと考えるひとたちもけっこう多かった。一方で科学は個人の努力によって最大限の結果が生まれうる分野で科学者の職業はそういう点とても魅力がある。わたくしなどはどちらかとしては後者の側で、このような方向で成功者になりたいと強く思い願った若者でした。
ことしのノーベル賞医学・生理学賞の大村さん、まさに夢で描いたとおりもしくはそれを遙かに超えるかただったのではないでしょうか。
さらにいえば、大村さんは日本が戦争に敗れて新生日本といわれた時代に始まったあらたな社会が夢見た理想をすべて具現化したようにも見えるのです。
わたくしは大村先生の名前は知っていましたが、極めて残念ながら一度も講演を聞いたことがないのです。さらに人となりさらには業績をほとんど知らなかったのです。
しかし、おかげで大村さんが戦後の科学者が課題としたほとんどすべてを成し遂げたというか、とほうもないレベルで達成していたことを今年知ることになったのです。
外国からのニュースでこの偉大な科学者が日本にいることにわれわれが気づくことになったのです。
なんという喜びと驚きでしょうか。
わたくしはノーベル賞の第一報を聞いて、大村さんが大学を卒業したあと夜間高校の教諭になって東京で働きながら勉強する、若者達とせっすることで自らが大きな刺激をうけ自分も大学院で勉強するぞと、決意したと知りました。自分の先生はこの夜間学校でまなぶ若者達だと。
ほんとにこれにはしびれました。
かつてこのようなセリフを功成り名遂げた日本の科学者の言葉として聞いたことがありません。
しかし考えてみれば新生日本、新生大学の卒業生である大村先生が新生日本の夜間高校の若者達の生きる意欲に発奮して自分も頑張るぞとおもった、これこそがある意味、戦後日本が目指した廃墟から立ち上がる新生日本が目指したもっとも素晴らしい理想とするできごとでは無かったでしょうか。
学者としていかに生きるか、わたくしなどは基礎と応用というような陳腐なレベルで両者を融合した研究もできずにいましたが、大村先生はその問題を軽々と乗り越えてしまったようです。
いま読んでいる本でそのあたりの先生の考えを知りたいと思っています。
先生は250億円の特許料を北里大学に寄付したとのことです。かつて聞いたことが無い巨額です。
そういう日本の科学者がすでにいたことをまったく知りませんでした。
本を読むと、それどころか先生は実に多彩な文化社会活動に膨大な経費をお使いのようです。
科学者が自らなしとげた成果でこのような多大な社会活動と研究への貢献をなしとげる。かつて聞いたことがありません。
でもそのようなことも敗戦にうちひしがれた日本が渇望していた人物とその行為ではないでしょうか。
先生がノーベル賞受賞のためにストックホルムに出かけてからのひと言ひと言にこれまでの授賞者とはずいぶん異なった印象を与える発言を続けているように感じました。
たぶん自ら思うことを率直に正直に言っているだけだったのかもしれません。
時がたてば大村先生の業績の偉大さと人間の大きさはますます理解されていくに違いありません。
日本は敗戦によって特に科学に従事する人々は相当に変わったはずです。帝大から新生大学へ、権威者から普通の人達のやる科学に。
そしてできるだけめざましい成果が生まれることが国と世界の為に望まれたのでした。
大村先生はまさに新生日本の申し子として世界の中に入り、世界の人々に多大な貢献を成し遂げた初めての生命科学者として日本人が心から誇りに思えるまさに永遠の科学者となったのでした。
大村先生の偉大な業績とひととなりを日本中の人々に知らしめたスエーデンのノーベル賞選考委員会に心から感謝したいです。