知力の衰えの効用

去年の今頃何を考え書いていたのか気になってみると昨年の12月は以下の4つのエントリーがありました。
日本国の借金について
[ 2014-12-25 16:45 ]
再現できなかった実験ーわたくしの場合
[ 2014-12-20 08:07 ]
わたくしが受けた初等教育
[ 2014-12-15 14:56 ]
ダメよー、ダメダメ
[ 2014-12-01 23:17 ]

斜め読みすると、そうかなるほどと一人で納得してしまいました。二番目と三番目のは書いておいて良かったと感じました。備忘的に。
それで今年ですが、書き忘れたくないことはなにかないかと考えたのですが、ひとつありました。
わたくし自身の知力の老化です。
これはいろいろあっていままだ晩ご飯までにやりたいことがあるので、持ち時間10分として書きます。
まず人の名前が出てこない。不思議なことに5分前に楽々でていた人の名前がなぜかこんりんざいでない。経験的にはあと30分後か明日くらいにはまたでるでしょう。この気まぐれな記憶、圧倒的に人名が多い。誰かと話していて、固有名詞を言わなければいけないのにいまは思い出せていない。ところが土壇場ででることもある。でないこともある。この違いの原因はわかりません。摩訶不思議、実存的な生の不思議です。
論文を書いたりすると、自分の頭が煮詰まってきたことを強く感じることがあります。枚数で一枚二枚分くらい書くと、自分にはなじみのない分野での論文だと煮詰まりかたは相当ひどくなって、読み返しても、そこそこなのか、ぜんぜん駄目なのかわかりません。こういう感覚は年を経るに従って漸増しているようです。どうしようもないので今日は駄目、この書いたのは寝てみないと駄目だな、と無音で独り言です。
そのあとは深夜のことが多いので、テレビの面白そうな番組があれば30分か1時間かみることがあります。寝る時間はですから12時半とか1時とか。
寝る前にもう一度、その日書いた文をよみなおしますが、やはり煮詰まり状態はなんの改善もないみたいです。興味深いのは次の日の朝にもう一度読み返してみると、往々にして新しい発見というよりは、煮詰まりの一部が解決される事に気づきます。解決としてもたいしたものではないのですが、でも煮詰まりに明らかな一部解きほぐしが起こっています。そうそう、とこれも無言でひとりで首をふりながら納得して仕事がやや進んだことに納得します。こういうことが何度も起こって論文ができるというのが最近の経験です。わたくしの創造性はいまやこういう睡眠による新能力を必要としています。
こういう類いの経験は50代60代にはまったくありませんでした。新しい知識にはもっと滑らかに煮詰まりなく対応出来たような気がします。
わたくしは寝てる間にもつれたニューロン回路がすこし解きほぐされたと勝手に思っています。寝てる間も働いている神経細胞に感謝感謝です。
知力が衰えたのでみえてくる、わたくしの頭脳の働きの仕組み、我ながらおもしろいなあ、と思います。
何というのでしょうか、すだれから透けて見えてくるような感じの頭脳の働き具合は、ある意味スピード速く動いていた機械の動きがだんだん遅くなってきたから見える、つまりスローモーション化したことによる自らの理解の進み方なのかもしれません。
これからますます知力は低下するが自分の頭脳の働きを分かって来たことによる、効率化というか自己改革の高まりを考えると、衰え悪くないじゃやないか、けっこうこれからも楽しめそうじゃないかと思ったりするのです。
時間が来ました。
いっぺんプレビューで読み返す時間も必要ですから。

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