港川人の釣り針について

週末に那覇に出て県立博物館で開催されていた「港川人の時代とその後」琉球弧をめぐる人類史の起源と展開を見てきました。感想はやや複雑で、というのは展示物が非常に多くて、教育的ではありましたが、焦点が定まりにくいのです。
目玉の展示物、2万年前の「釣り針」を楽しみにしていました。たしかにびっくりするような綺麗なものでじっと見ていますと、男性おふたりがそばに来て、これか、論争になるのも無理ないかな、というふうに話していました。どういう意味かと、聞きますとこれは人工物でなくて貝だか骨だか、自然物というものである可能性を主張する方もいるようなのです。
この展覧会は始まったばかりで、実物を見てからの意見ではないかと思います。
わたくしも見事なかたちではあるものの、針糸を通す穴があってもいい部分が折れているので惜しいなと思っていましたので、なるほどと思いました。穴があれば100%人工物でしょうが、穴がないのでまだ未確定というのが一つの取れる態度かもしれないと思いました。
いずれにせよ1.5万から2.5万年の大昔に港川やサキタリ洞には古代人がいたことは間違いないし、かれらが日々何かを食べていたことも確かなので、魚を釣るための道具があっても不思議はない。しかしこの目の前にある釣り針がそのために古代人が作ったのか利用したのかはもうすこし時が経たないと、確定しない、そういうふうに理解しました。
釣り針の写真はあとでペーストしておくことにします。

下にネットにあった釣り針の写真と港川人の想像図を掲げておきます。

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