佐伯啓思氏の退位問題に思う 天皇制と民主主義の矛盾(朝日新聞)

1月6日に朝日で読んだ佐伯氏の天皇退位問題についての意見(http://www.asahi.com/articles/DA3S12734747.html)を読んで安心しました。
わたくし自身がもやもやとしながらも退位問題について考えていたことを明解に明らかにしてくれていて、これぞ有識者の意見と感心しました。氏に本当に感謝したいです。これでわたくしの持っていた違和感は説明されて佐伯氏の提起しているかたちで議論が進むことを期待したい、といえます。
詳しく紹介する余裕はありませんし、拙いやりかたで紹介をするよりは実際に読んでもらって佐伯氏の考えを理解してもらうのがベストとおもいます。
ポイントは天皇の神格化にありまして、氏がいうように’明治国家は西洋型の立憲君主制を模倣しつつ、他方では、あくまで天皇に対し「神聖にして侵すべからざる」存在としての神格を与えたからである。天皇は、立憲主義の範囲におさまる部分とそれを超え出た部分の二重性をもっていた。’氏はさらに続けて、’これは一種の矛盾であり、その矛盾が統帥権の独立などという形で現れもした。では、戦後はどうか。天皇の神格性を否定し、英国型の立憲君主制の枠の中に収め、さらに、いっさいの政治的行為から切り離した。戦後日本の「国のかたち」は、象徴天皇による形式上の立憲君主制であり、実体上は民主主義(国民主権)ということになろう。あくまで民主主義によって支えられる天皇制(君主制)ということになった。’
’ところが、話はそう簡単ではない。憲法にはまた、皇位は世襲であり、皇室典範にしたがって継承される、とある。つまり、日本国、および日本国民の統合の象徴としての天皇は、単なる王家の一族でもなければ、単なる制度でもなく、日本の歴史の持続性、国民統合の継続性を示すものとされている。それが、皇位は世襲される、ということの意味であろう。
 すると、ここで天皇の神格性は否定されているものの、また別の問題が発生する。皇位を世襲するという国民統合の歴史的継続性を示す原理と、国民主権の民主主義は決定的なところで齟齬(そご)をきたすのではないか、というやっかいな問題がでてくるのだ。’

ここから先は氏の書かれたものを直接読まれて頂くといいとおもいます。
問題は非常に深い。日本独自の文化・社会的な存在を今後も存続、継承するにはどうしたらよいのか、天皇制に限らないすべての日本独自の文化の継承に関わる問題になるとおもうのです。
日本の継承を考えるうえで非常に示唆に富むとおもうのです。
日本社会自身がこの問題をくわしく考え議論するなら、世界の中での日本の立ち位置におりおりに違和感や疑問を感じることが、実際には当然だし、これからも日本独自で発展してきた種々の文化の維持にも役立つに違いありません。
外国の人達が日本に来てえもいわれぬ安心感を感じたるするのも自然、神、人が融合して続く日本文化が探せばまだまだ沢山あることに気づくからでしょうか。天皇が庶民にしたしまれかつ尊崇されるのも、自然、神、人々を存続させる主たる象徴的な存在であることを認めているからでしょうか。
この最後のあたりは文章にすると違和感を感じる人々もたくさんいることは分かっていますが、しかし何かを言わなければ天皇の現人神的要素は将来消えてしまうかもしれません。
しかし一方で天皇の「人権」は最大限に尊重すべきです。
未来に向かっての賢い解決策を有識者達に見いだして欲しいものです。日本社会が築いてきた里山のような自然文化の存続が危機に至らなければこのような問題の解決策はおのずとあるだろうとわたくしは信じています。

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